乙武洋匡「ありがとう3組」のおかしな点を小学校教員経験のある私が一つ一つ指摘する、今更ながら。

投稿者: | 2017年4月15日

乙武洋匡氏が自身の小学校教員の経験から執筆した前作、「だいじょうぶ3組」。

映画化もされ、調子に乗って出したのが続編である本作です。

今回はその続編、2012年に出版された「ありがとう3組」について、取り上げます。

本作、障害をもつ児童に対する考え方や対応など素晴らしい点もあるのですが、いかんせん前作同様、現実ではあり得ないことも含まれています。

野暮かもしれませんが、本作についても前回の記事同様、元小学校教員の私がこの作品を読んでそれおかしいだろ!という点を色々ツッコんでいきたいと思います。

 

◆体育着着用のルール

第1章では、前作で5年担任だった赤尾(乙武氏のように五体不満足の教員)が、6年担任に持ち上がり、発達障害をもつ転入生・泰示に振り回される日々が描かれます。

そして、その泰示が体育着を忘れてしまったことから、体育着着用のルールについてひと悶着が起きます。

クラスのルールでは、どんなに体調がよくても、体育着を忘れたら、その日の授業には参加できないことになっていた。(中略)

「今日のラケットベース、泰示君もすっごく楽しみにしていたよね。どうかな、今日だけは体育着なしでも参加させてあげるっていうのは。ほら、泰示君もまだこのクラスに入ってきたばかりだし。先生、どうでしょう?」

公彦からの提案に赤尾は内心ホッとしていた。赤尾の頭のなかに、その考えがなかったわけではない。だが、教師の側からそれを提案すれば、今後、子どもたちにルールを守らせることが難しくなる。しかし、子ども側からの提案となれば、それは自治となる。公彦の提案に全員が賛成するなら、赤尾は泰示の参加を認めてもいいと考えていた。(出典:第1章 転入生登場 P28)

私はここで2点、違和感をもつ記述がありました。

1点目、まずは、「クラスのルール」という記載です。今は体育着のルールは学校(あるいは学年)でルールが決められているところが多いので、クラスでは決められていません。(まあ、しかし、特に学校・学年定めていない学校もあるかもしれません。問題は2点目です)

2点目、「子ども側からの提案となれば、それは自治となる」・・・・。はい? 日本語ではそれを正しく「責任放棄」といいます。特例を認める際にそれは子どもたちに決めさせるのはマズいです。仮に服装が原因で怪我が起きたときに「子どもたちが決めたことだから」と言うのでしょうか。同じような場面が出たときに、その度に一々クラスで話し合うのでしょうか。赤尾先生は、自らがリーダーとして決断をしなくて済んだから「ホッと」したのでしょうが、ルール外の特例を認める際は、担任が責任をもって自身の決断で行うべきです。なぜなら、それが、小学校教員の仕事だからです。

 

◆組体操・タワーの美化

第2章では、クラスの児童、公彦の視点で運動会での組体操が感動的に描かれます。

公彦は四段タワーの頂上に、見事に立っていたのだ。

「ピッ」

紺野が笛を吹く。公彦はぐいと胸を張り、両腕を翼のように思い切り真横に広げた。

空が近く感じた。

鳥になれたような気がした。

観客席からわき起こる拍手が、遠くに聞こえる。だが、拍手なんてどうでもいい気がした。ただ、ただ、この景色が心地よかった。(出典:第2章 決死の四段タワー P76)

出版当時は特段問題のなかった記述かもしれませんが、現在では組体操のタワーは危険なものであるという認識が広がっています。

(乙武氏が勤務していた)東京都でも、2016年にその危険性からタワーを原則禁止となります。

都立学校において学校行事で「組み体操」を実施している場合、いわゆる「ピラミッド」と「タワー」については、不可抗力による怪我等の危険性があることから、平成28年度は原則として休止することとする。(出典:東京都教育委員会「東京都における「組み体操」等への対応方針について」)

出版からまだ10年も経過していないのに、もはや、このような感動は時代遅れといっても過言ではありません。

 

◆恋人と学区域デート

第三章では、夏休みに学校の近くの神社で彼女とデートする赤尾先生が描かれます。

そして案の定、クラスの子どもたちと遭遇します。

「あ、ほら。やっぱり、赤尾先生!」

「ねえ、先生。カノジョ? カノジョでしょ?」

「ねえねえ、春菜さんは何してる人? 先生のどんなところが好きなの?」(出典:第3章 百三十円のメッセージ P82)

こうなるに決まっています。

ですから、実際の教員は入籍していない恋人の段階で、学校の近くでデートするなんてことは絶対にしません!

まあ、実際の乙武氏は小学校教員時代は既に結婚しているし(さすがに話題になった不倫相手と子どもたちの前には出ていないでしょう)、ストーリーの展開上、必要な場面というだけだったと思われますが。

 

◆モンスターペアレントの言動は、すべて子どものことを思うからこそ?

第3章では保護者との面談で赤尾が四苦八苦する様子が描かれます。そして、飲み屋で先輩教員・紺野が赤尾にこんなアドバイスをします。

「たとえば、モンスタペアレントという言葉があるだろ。あんなものはマスコミが勝手につくりだした言葉なんだよ。たしかに、非常識な発言や考えられないような行動をする保護者はいる。でもな、そうした言動も、すべて子どものことを思うからこそ、なんだ」(出典:出典:第3章 百三十円のメッセージ P99)

はい?って感じです。

朝起きられないからモーニングコールくださいと言う親は子どものことを思うからこそ?

風邪で休んだ分の給食費を返せと言う親は子どものことを思うからこそ?

我が子が他の子どもに暴力を振るっているのに悪いのはウチだけですかという親は子どものことを思うからこそ?

何を言ってるんですか!と声を大にして言いたいです。

杉並区の裕福な地域の学校ではそうなのかもしれませんが、底辺校と呼ばれる学校ではそうはいきません。

 

◆トイレの介助を子どもにさせる

これが最も物議を醸した記述です。

第4章では、介助員の白石が怪我で宿泊行事に行けなくなり、赤尾の参加も難しくなります。しかし、赤尾を慕っている子どもたちは、自分たちが赤尾のトイレの介助を行うと言い出します。

そして、赤尾のトイレ介助の練習を行うのです。

「ねえ、先生・・・・。パンツも脱がせるの?」

「まあ、そうだな。じゃないとおしっこできないからな」

赤尾の返答に、康平と公彦は照れくさそうに顔を見合わせた。

「じゃあ、先生、いくよ」

うしろ向きになって車いすの背もたれに短い腕をつき、尻をつきだす赤尾。その腰に手をかける子どもたち。

「せーの」

紺色のトランクスを一気にずりさげると、そこに真っ白な尻が現れた。(出典:第4章 ハダカのつきあい P117)

まあ、これは小説だから、物語を盛り上げるためにつくられた描写なんだろう、始め読んだときさすがに私はそう思ったのですが、そうではなく、これは実際にも起きたことのようなのです。

学校に1日宿泊する夏合宿。介助員が来られなくなり。トイレや身の回りの世話を児童たちがしてくれた。(出典:読売新聞「顔」2010年4月2日)

驚きました。

トイレ介助をさせた乙武氏を始め、学年主任・学校長・杉並区教育委員会は何考えてるんだ!

マジでアホなのか?と。

学習指導要領のどこにトイレの介助があるのか、と。

子どもたちから自ら進んで行っていたとしてもこれは大きな問題があると私はそう思いました。

 

◆職員会議で学年主任とやり合うって中々ないが・・・

これが最後です。

第6章では、発達障害をもつ児童、前川泰示のために赤尾がクラスでの携帯電話の活用を職員会議で提案をします。

「まずは、カメラ機能。前川は字を書くことが苦手なので、黒板を写真に撮ってしまえば、ノートを取る手間がはぶけます。帰りの会のときに、明日の予定や持ちものを連絡帳にメモするのも、録音機能を使えば忘れ物もぐっと減るはずです。あとは時間管理。これまではひとつのことに集中しすぎて、いつまでも遊んでしまったり、つぎの作業に移れなかったりということが多くありましたが、タイマーを使えば、そうしたことも改善していけると思うんです」(出典:体に合ったTシャツを P209)

そして、この意見に対して同じ6年の学年主任・青柳が反対します。

「わたしは反対です。(中略)安易に機械に頼る前に、もっとほかにすべきことがあるんじゃないでしょうか。(中略)結局、赤尾先生がそういう彼を甘やかしてきたからいまの状況があるのでしょう。(中略)宿題はやってこない。授業中もずっと自由帳を広げて、絵を描いている。だいたい九九はできるようになったんですか? 漢字は何年生まで書けるようになったんです? 前川君からは、まるでやる気が感じられません。そういった彼の態度も改善せずに携帯電話を使わせろですって。そんなバカげた話はないでしょう(中略)漢字が覚えられないからカメラ機能って、そんなかんたんに努力することを放棄させていいんですか?」

これも物語を盛り上げるために必要な場面なだけなのかもしれませんが。現実ではいきなり職員会議でこのような提案を行う教員はいません

このやりとりを見て教員ならこう思うはずです。

まずは学年会でやれよ、そしてダメなら管理職に相談しろよ、それからだろうよ職員会議では、と。

同じ学年のしかも学年主任と職員会議でやり合うって学校では相当な大事件ですが、元々関係性はあまり良くないことは示唆されているものの、サラっと書かれています。

まあ、現実ではほぼあり得ません。

そして、内容としては、私は非常に微妙な問題だと思いました。

物語でも副校長の灰谷が、

「いまのお話で、前川君にとっての携帯電話の有用性はわかりました。ただ、これまでのルールを変えて、ひとりだけ特例を認めてしまうと、『うちも、うちも』となったとき困るんですよね。たとえば、前川君になんらかの診断が下っているなら、『あの子は障害があるので』とそこで線引きをすることもできますが、彼の場合はそういう診断が下っているわけでもないでしょう。すると、ほかのお子さんからの申し出を断りづらくなるんです」

と発言し、校長もその場での即決は避けています。

結局後日、前川泰示に広汎性発達障害の診断が下りることで、赤尾の提案が認められるのですが。

 

★まとめ

上記で私が述べた指摘は、この本が物語であるという点から、「いや、そういう世界の話なんだよ」と言われれば、一切意味を為さなくなります。

しかし、読者の多くは教員経験のある乙武氏が書いた、「事実に近い」フィクションとしてこの物語を受け入れているだろうと私は思ったので、意地が悪い気もしましたが、同じ小学校現場経験者として、現実にはあり得ないおかしな点について指摘しました。

また、上記のほかにも、物語としてドラマ性がないからだと思いますが、行事や生活指導の場面ばかりで教員が本当に時間をかけて行っている、事務処理や校務分掌、日々の授業はあまり描かれません。

現実では教員はそれらの雑務のせいで、(物語で描かれるような)頻繁に家庭訪問に行ったり、放課後に丁寧に子どもたちの話を聞いてあげたりするということはきわめて困難です。

くれぐれもこれを読んで感動してこれが教員の仕事かと早合点して教員になろうとか思わないことです。

以上、元公立小学校教員トウワマコトによる、『乙武洋匡「ありがとう3組」のおかしな点を小学校教員経験のある私が一つ一つ指摘する、今更ながら』でした!

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