オランダの教育は、校区なし、入試なし、宿題なし。日本との違いを制度面を中心に取り上げてみた

投稿者: | 2017年5月29日

今回は、保護者として接してきたオランダの教育についてまとめたリヒテルズ直子氏が、2004年に出版した「オランンダの教育」を取り上げます。

13年前に出版された本なので、現状と異なる点が少しあるかもしれませんが、この本、オランダの教育の状況について一保護者の視点からよく知ることができます。

本ではオランダの教育の歴史的背景や学校制度、学校選択などの保護者としての実際の経験について書かれていますが、ここではハード面における日本との違いを主にピックアップしていきます。

 

◆校区制がない?

リヒテルズ直子氏によると、オランダには校区制がなく、地方でも徒歩で通える範囲に多くの学校があるといいます。

まず、校区制がありません。それでは、自宅に一番近いところの学校に通わせようと思っても、歩いて買い物に行けるほどの距離のところに三つや四つの学校があるのがあたり前で、子供が自転車で通える範囲までを含めると、容易に10校前後が候補としてあがるのが普通だからです。

日本では基本的には校区がはっきりしているため、日本では考えられない学校の多さです。日本では都市部でさえ、特に小学校は私立学校はさほど多くありません。

なぜ、オランダはそのように学校が多いのか。

学校を建てたいと思っている市民の意思に基づく民間団体が、その地域の人口密度に照らして一定数の生徒を集めることができれば、それがどのような教育理念に基づくものであれ、私立学校を設置することができます。(中略)学校の校舎や施設の提供は地方自治体に責任が負わされていますので、設立者は最低人数を達成することだけが条件です。

校舎や施設の提供は地方自治体に責任があるというのは、日本の制度からいえば驚きです。

そして、その多くある私立学校、義務教育のため授業料はほとんどかからず、よって公立学校と大差ないといいます。

以前当ブログでも取り上げた、内藤朝雄氏が「いじめの構造」で提案した内容にかなり近い制度ですね。

 

◆教育内容・方法は各学校に裁量がある

また、これらの林立する学校、提供している教育内容・方法についてに千差万別なようで、それぞれの学校に自主的な方針・運営が認められているようです。

学校が提供している教育の内容や方法については、個々の学校の間に明らかに違いがあります。多様な学校が並存し、そして親は、そのなかから好みの学校を自由に選ぶ権利を保障されているのです。

文部科学省は、科目の種類や時間数には一定の規準を与えていますし、これらの学校でもオランダを学び、他の教科の教授用語はオランダ語でなければなりません。しかし、文部科学省が基準としている教育目標に向かってそれをどのように教えるかはそれぞれの学校に任されています。

教育内容や方法を決めそれを計画的に実施するのは学校の教職員の仕事で、実際にそれぞれの学校でどのように教育活動を行うか、という細かい部分は、校長先生を中心にした職員会議で決められていきます。

日本でも一部の自治体で学校選択制が採られているようですが、日本の場合はそもそも選択肢が少ないうえに、基本的にはどの学校に行っても「学習指導要領」に沿った教育内容しか行えず、オランダに比べると、自由に選ぶ権利が保障されているとはいえません。

そして職員会議、本来はこうあるべきです。残念なことに日本では校長が教育委員会から指示された内容を伝達するだけの会になっている場合も少なくありません。

でも、こういう制度だと、学校間に格差が生まれ、平等な教育機会が担保できないのでは?と疑問をもたれる方もいるかもしれません。

リヒテルズ直子氏は、次のようにオランダの教育の質の保障について述べています。

けれども、そのような制度だと、学校と学校の間に格差が生まれてしまうのではないでしょうか。この多様性が質の差を生む心配はないのでしょうか。(中略)一部の学校で起こり得る質の低下を防止するために、どのような装置を用意しているのでしょうか。

基本的には、親が子供のために学校を選ぶ自由を100%保障していることが、間接的ではありますが、子供の受ける教育の質の保障になっていると思います。単純にいえば、自分の子どもが通っている学校の教育の質が下がった場合、親は子供をその学校から他の学校に転校させる権利がある、ということです。

 

◆校長先生は転勤なし?授業も?

このように根本的に日本とは考え方、制度が異なりますので、校長の人事や制度も異なります。

校長職は、空席のある学校の理事会が求人を出して、それに対して資格者が応募をする形をとっていますので、一方的に市が上から人を配置してくるものではありません。校長先生は特に問題がない限り(理事会が決議しない限り)、また本人が希望する限りは同じ学校に務めるので、一般に五年以上、なかには十年以上も同じ学校の校長先生をする場合も珍しくありません。これは他の教員についてもいえることです。

法律では、「校長は教授活動から解放されない」という条項があり、生徒とのコンタクトを失い教育現場の実情に疎くなってしまわないために、校長先生には週に一度ずつでも実際に授業を担当することが義務づけられています。

日本では3~5年で異動してしまうことが多く、すぐに変わってしまうので、改革が行われにくいという欠点がありますが、オランダでは腰を据えて責任をもって(裁量も大きいので)校長が学校運営できるようです。

また、日本では教頭(副校長)や校長など管理職になると授業を担当しないのが一般的で10年以上現場を経験していない校長もなかにはいます。これはとても良い制度だと私は思います。

 

◆教科書はあまり使わない!?

教育(授業)の内容や方法が教員の裁量に任されているオランダでは、自治体が教科書を決定する日本とは異なり、教員が教科書を決定するようですが、無料ではなく、また実際は小学校ではあまり使われないことが多いそうです。

オランダでは、日本にあるような検定教科書の制度がありません。複数の民間教科書・教材会社がそれぞれに工夫を凝らし、独自の方法で教科書を作っています。一般に小学校ではあまり教科書を使わないようです。教科書にあたるもの、つまり、何らかの知識について系統立てて説明したような歴史や地理の教科書もありますが、それも、様々な教材のなかの一部という感じです。また、教科書は、毎年購入されるのではなく、ほとんどの場合は、他のいろいろな教材とともに、学校の備品として備えられています。

では実際、具体的に何を教材をしているかというと、例えば国語は図書室に置いてある児童書を用いたり、単語や文法の学習ではワークブック形式の教材を活用したりするようです。後者は日本と同様(漢字ドリルなど)だと思いますが、前者は異なります。この方法だと良いのが教員が教科書に縛られなくて済む点と、子どもも先にページをめくって答えが分かってしまわないという点です。一方でこの方法だと教員の授業力が試されますね。教材研究の時間も必要となります。

しかし、このように教員に裁量があれば、より良い授業を目指して努力しますよね。一方、日本では最初から教育内容が「学習指導要領」で定められているので、教員が努力しなくなる(教育内容について考えなくなる)面があると思います。

筆者がインタビューしたオランダのある教頭先生は、日本の学習指導要領のような「中核目標※」がオランダの文科省により定められた際、画一的な基準は「教員が怠け者になる」と応えたいいます。

私がインタビューしたある中学校の教頭先生などは、文部科学省が「中核目標」などを作るから教員たちが怠け者になる、と言われました。教師としての誇りは自分の考えで子供を指導することにある、という考えがなければ、こうした発言は聞かれないのではないかと思いました。実際、そうした先生たちや學校の批判によって、「中核目標」の中身はその後1998年の改訂でやや減り、2003年の改訂でさらに目標項目が減少されています。

※「中核目標」=オランダの文科省が1993年に施行した、小学校の達成されるべき学力、知識、技量の到達目標を示したもの

 

◆クラス編成について

学級編成についても日本とは異なります。

学級編成については、特にオールタナティブ教育の小学校では、異なる年齢の子供たちを一緒の教室で教えたり、年齢にかあわらず能力に応じてグループ編成をしたりといったことを大変積極的にやっています。

オールタナティブスクールではない普通の学校であるHSVでも、「読み」の時間には、普段のクラス編成を解消して能力や進度に合わせて別のグループ編成を行っていました。

※HSV=筆者が子どもを通わせていた小学校。読解困難症の子どもに配慮しているため

 

◆宿題なし!? 子どもたちの放課後について

放課後についても、日本とは異なり、オランダの学校は宿題を出さないそうです。そして、放課後は日本のように部活ではなく地域のクラブなので、リヒテルズ直子氏は子どもたちが結ぶ人間関係が重層的だと指摘します。

オランダの小学校には宿題がありません。家庭や近隣でいろいろな社会関係を結ぶことがこの段階の子供たちの学びの一環であると考えられているからでしょう。また、高校や大学に進学するための入学試験もありません。ですから入学試験で良い成績をとらなくてはならないという強迫観念に親も子も縛られることもなく、したがって塾もありません。子供たちは午後三時頃に学校から帰ってくると、宿題にも塾通いにも追われることなく、力いっぱい自由時間を楽しむことができます。

オランダでは校区制がないので、住んでいる地域の子供たちは皆それぞれ別の学校に通っています。子供のことですから、顔見知りになれば、同じ学校に行っていなくても、近所の子供たちは一緒に遊ぶようになります。スポーツクラブや音楽学校などに行くと、そこでまた、市内の様々な地域の様々な学校の子供たちと接することになります。子供だけでなく、そこで指導してくれる専門の先生や、交替で子供たちの面倒を見てくれる父兄などの大人たちとも知り合いになります。

日本の場合、校区制がある限り、同じ地域の子供たちは同じ学校に通います。また、学校の授業が終わっても、ほとんど毎日、その同じ学校で行われるスポーツクラブや文化クラブに参加します。学校が終わって帰ってきても、宿題に追われるか塾に通うかで放課後の時間は終わってしまうのではないでしょうか。こうした重層的で反復的な社会関係しか持たない日本の子供たちは、学校や地域の外の社会に接したり、他の学校の子供と交わったりする機会がオランダの子供たちに比べて大変少ないと思います。

このように重層的な人間関係があれば、万が一いじめなどの問題が起きても学校外に一歩出ればまた別の人間関係があるので、心理的な負担は少なくて済むと思います。

 

★まとめ

なぜオランダの教育制度が、多様な学校を認め、教員に教育内容・方法の裁量を与えるものになっているのか、その基本的な考え方を筆者が最終章で次のように述べています。

人と人との間にランクづけをしないこと、それは、社会全体として適材適所が実現されるもっとも大事な条件なのかもしれません。子供たちは、他の子供と競争するのではなくて、自分の能力を探しながら中等学校の日々を送ります。だから、学校は試験によって子供を振り分けるところだという見方がありません。学校は一人ひとりの子供について適材適所の視点を持ち、次の世代をもっとも理想に近い形で用意しようとしているのです。オランダの「教育監督局」は、なぜ、「個々の子供のニーズに適した教育がなされているか」という観点で各学校の実践を監督しているのか、またオランダの文部科学省は、なぜ、「学校の多様性は多ければ多いほど良い」というのか、その答えはここにあります。適材適所は一つの尺度では発見できないからです。

これを読むと、いかに日本の学校で言われている「一人ひとりを大切に」とか「個性の伸長」とかいう言葉がただの綺麗ごとで絵空事でしかないことがよく分かります。

日本の教育における問題は、教員一人ひとりの力量や學校、教育委員会の問題よりも、制度の方により問題があると私は思います。

極端な変化を嫌う国民性があるので、急にオランダのように変革するのは現実的に厳しいとは思いますが、少しずつでもオランダのような「教育先進国」の良いところを取り入れていくべきではないでしょうか。

関連記事:内藤朝雄氏が「いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか」で提案した長短2つの教育政策について考える

 


スポンサーリンク