教職員の人事考課制度は”会社ごっこ”!大学教授もジャーナリストも現場経験者も批判する3つの理由

今回は、教育にかかわる多くの方が批判している教職員の人事考課制度について取り上げます。

私も小学校教員時代、この人事考課制度を実施している自治体で働いていましたので、その経験も踏まえながら考えていきます。

◆人事考課制度の概要

まず、念のため教職員の人事考課制度について説明しておきます。

民間企業をモデルに制度設計をしているので基本的には企業と同様です。大都市圏の自治体に実施している教育委員会が多く、教員の資質向上や学校組織の活性化等を目的に行っているようです。

ここでは教育ジャーナリスト・おおた氏が自身の著書で、人事考課制度について2000年から開始された東京都を例にとても分かりやすい説明をされていたので引用します。

まず、年度の初め、一人ひとりの教員が、学校の課題、校長が示す学校経営方針を踏まえたうえで、自分の目標を設定します。そしてその目標の達成に取り組みます。校長・副校長は、授業の観察や教員自身による自己評価、面接などに基づき、教員に対して公正な業績評価を行い、次年度に向けての指導や助言をします。評価は5段階。昇給などに反映されます。評価に際しては校長・副校長だけでなく、主幹や学年主任の声も重要になります。(出典:おおたとしまさ「オバタリアン教師から息子を守れ」)

ちなみに私は、年度の始め、途中、最後と目標の設定や振り返りを行う書類を作成したり、授業を管理職に見てもらうための学習指導案を作成したりと、事務的な負担が結構大きかった印象が残っています。

1.職員室のチームワークを壊す

明治大学教授の諸富先生は、この人事考課制度によって、職員室のチームワークが壊されていると指摘しています。

教師のチームワークの弱体化にはさまざまな要因が影響しています。ひとつは、教師の人事考課の問題です。多くの方は教員の評価をすれば力量がアップするだろうと思われるかもしれません。けれども実際に人事考課を熱心に行い、給与にも反映させている自治体(主に東京都や大阪府などの大都市圏)においては、教師同士のチームワークにひびが入りつつあるのが実情です。(出典:諸富祥彦「教師の資質」)

また、尾木ママも自身の著書のなかでこの人事考課制度が先輩や同僚に相談することを難しくし、学校が正しく機能しなくなると述べています。

教師の世界では、若手とベテランのあいだに力量に差があっても、求められる仕事内容ではほとんど差がないのが特徴になっています。そうした中で、先輩に相談し、同僚と切磋琢磨しながら成長していくのがこれまでの姿といえるでしょう。(中略)近年、学校現場に導入されてきた教員評価については、企業が取り入れて行ってきた評価システムをモデルにしているようです。しかしこれはこれまで学校が成立させてきた文化や伝統を省みず、企業の方法論をそのまま持ち込んでしまったものだといえるでしょう。(中略)とにかく競争させておけば伸びていくものと考える楽観的な「競争原理主義」のような発想に固執していたならば、学校は正しく機能しません。そうした意味からも、学校と一般の企業とでは性質がまったく違います。(出典:尾木直樹「教師の格差」)

私も尾木ママの言う通りだと思います。自分の経験としても、学級の状態が悪いとき、評価される立場にあるの上司には相談しづらい、ということがありました。

さらに、東京都で小学校教員として35年勤務し、最後の3年間は管理職としての経験をもつ貫井氏も、自身の経験から管理職と教員の信頼関係が損なわれると指摘しています。

管理職、 行政は自信を持って評定できるのか、 評定づけられた教師たちの間に亀裂が生じないのか、 管理職と教師との信頼関係は損なわれないのか。 これらは筆者の経験から見ていずれも否定的にならざるを得ない。 さらに、 評価する以上本人に開示するのは当然であるが、 これらの矛盾・問題点が表面化し学校が危機を迎える。(出典:貫井朋之「教員評価はどのように行われるべきか 東京都の教員評価の経験から

私自身は納得のいかない評価ということはありませんでしたが、納得がいかず、管理職と揉めている教員も見たことがあります。(ちなみにそのケースでは、校長は評価の根拠を示すようその教員に言われていましたが、示すことができず困惑していました)

この貫井氏の意見は管理職の立場からのものですが、現場の教員からの意見として、尾木ママが自身で行った現役教員へのアンケートを著書のなかで載せています。

評価されるために仕事をしたくない。本当の教育を語り合い、目指すことができない。成果主義が導入され、それに乗っている同僚もイヤになる。助け合い、力を合わせるということが失われてきている。【50代・女性教師】(出典:尾木直樹「教師の格差」)

私も上に媚びを売る教員をよく(複数の学校で)見ました。この人事考課制度が教員同士が協力する土壌が失わせた大きな一因であると私も思います。

2.教育の成果は数値化できるのか

京都教育センター・市川氏は、人事考課制度における各学校・教員において数値化された目標が推奨されていることについて、教育にとって本質的な意味をもたないと説明しています。

特に数値化した目標を掲げることが奨励されます。そのため数値目標として、都立高校の場合は大学名を挙げた進学者数や試験等の受験数や合格率、中学校訪問の回数(それが子どもの教育にどうプラスになるのか?)を挙げる例もあります。小学校の場合は花壇に年間を通じて3種類上の花を絶やさない、名前を呼ばれたら「はい」と返事が出来る児童80%以上、などというのもあります。また広島市では数値目標を作る際、「全国平均、政令市平均等の目標値などを基準として目標値を設定」「学校の過去の最高(最低)値を基準として目標値を設定」などの例を挙げます。瑣末で、教育にとって本質的な意味をもたない数字で教職員が追い回される様子が目にみえるようです。(出典:市川哲「教職員評価が学校をダメにする」)

これ、私も教員時代、管理職から指示されていました。〇月までに〇%の児童を達成させるのか、目標を書かせられました。(冒頭に示した画像のような書類に書かされます)

しかし結局、挨拶等その目標が達成したかどうかなど(テスト以外は)正確に把握できるわけがありません。担任も正しく査定できないし、管理職も教員が自ら行った査定が正しく行われているかどうかチェックもしないし、できるわけもありません。

ですから私は教育委員会お得意の、”形式だけ”の意味のないものと捉えて、淡々と処理していました。(本当は褒められるべき態度ではないものの、子どもに向き合う本業に取り組むためにそうしていました)

また、おおた氏も市川氏同様、教育のような成果のはっきりしない分野において成果主義を導入することについて次のように懐疑的に記しています。

そもそも教育の成果というものは、思わぬ時に思わぬ形で表れるものです。それが一般のビジネスとは違います。目先の学力テストの「国語A」のクラス平均点が上がったとか、有名進学校に何人合格したとかいうことが、教育の成果ではないはずです。本当の成果がわからないのに、可視化しやすい「成果らしきもの」を基準にして評価が決められれば、教育の目的自体歪められる可能性があります。(出典:おおたとしまさ「オバタリアン教師から息子を守れ」)

さらに貫井氏は、授業の質についての評価は多様な見方や様々な側面があるので評価することに無理があるとしています。

現行の人事考課制度は大きな矛盾を抱える。 評定は管理者が評価をもとにしながらも教師をいくつかある段階に当てはめることである。 しかし、 教師の教育活動・授業を評定するには無理がある。 授業については多様な見方や様々な側面があり容易に評価できないからである。(出典:貫井朋之「教員評価はどのように行われるべきか 東京都の教員評価の経験から」)

いずれの主張も、教育活動の成果を数値化したり、評価したりすることに無理がある、ということだと思います。

3.本当の目的がある!?

人事考課制度は、職員室のチームワークを壊したり、成果を数値化することに無理があったりするだけでなく、教職員が教育委員会の指示に従う状況が作り出されてしまうと市川氏は指摘します。教育委員会には教員の資質向上や学校組織の活性化という表の目的だけでなく、裏に本当の目的があるのではないかと次のように訝しく見ているのです。

教職員評価によるランクづけや「優秀教員の表彰制度」、さらには評価と給与をリンクさせ、また評価を人事に活かすという制度はまさにこのインセンティブの機能を果たします。こうしたインセンティブで「やる気」を奮い立たせた教職員が実際は教育委員会発の「学校経営計画」をふまえた自己目標を校長と面談の上で決定し、その成果を評価者である校長が評価するというシステムが教職員評価制度です。これが実施されると教育委員会の意図するところがオートマチックに学校で教職員によって担われるという状況が作り出されます。(中略)ここに教職員評価制度が目指す学校像があり、教職員評価制度の本当の目的があるように思います。(出典:市川哲「教職員評価が学校をダメにする」)

実際、今の学校、残念ながらこういう傾向になってきています。職員会議で教育委員会からの通知しか職員に伝えない校長がその象徴でしょう。

★まとめ

数多くの大学教授、教育ジャーナリスト、現場経験者、現役教員の批判の対象となっている教職員の人事考課制度。

導入している自治体は、即刻廃止するべきです。

最後に、”会社ごっこ”と辛辣に批判しながら、そもそも教育とは何なのか、そのことへの国民的な共有がなされていないことに危機がある、と述べているおおた氏の問題提起を引用したいと思います。

現時点での経済合理性にのみ照らし合わせて、むやみに競争原理を取り入れてみたり、人事考課制度を取り入れてみたりすることは、学校を舞台に「会社ごっこ」をしているようにしか私には見えません。(中略)今、この国に教育危機というものが存在するのであれば、それは、子どもたちの学力低下とか教師の力量不足とかいう次元のことではなくて、そもそも教育とは何なのかが正しく共有されていないことではないかと私は思います。

そもそも教育とは何なのかが正しく共有されていない・・・。本当にその通りですね。

以上、元公立小学校教員トウワマコトによる、「教職員の人事考課制度は”会社ごっこ”!大学教授もジャーナリストも現場経験者も批判する3つの理由」でした!