板橋区立志村坂下小学校・中村歩主幹教諭の提案する能力給システムは明らかに間違っている

東京都の現職小学校教諭が幻冬舎オンラインの『現役小学校教師が語る教育現場のリアル』という連載記事に執筆しているのだが、その内容があまりに酷いので、今回はこの件を取り上げる。

以下、当該記事の問題部分の引用。

教員である以上、誰もが子供が成長してくれればやる気が出ます。ただ、子供と四六時中付き合っていれば、そんな幸せな時間ばかりではありません。子供が思った通りに動いてくれない、保護者からの過度なクレームが続く、子供だけでなく、今話題の教員同士の関係に悩む、そんな時はやはり教員だって人間です。気分が滅入って、やる気を失いかけることだってあるのです。

そんな時、もし能力給や努力給による昇給システムがしっかりしていれば、投げ出さずに現況に堪えてやろう、がんばって乗り切ろうという元気も出るのではないでしょうか。やる気を取り戻す、やる気を持続する要因の一つになり得ると思うわけです。

教員の長時間労働が問題視されている中、「年功序列の是正」「やる気に直結する能力や仕事量に対する評価基準の構築」「役職アップによる魅力的な昇給システム」の3つをクリアしたならば、教員の質は向上し、よりよい職場環境作りにつながると考えます。それらの実現によって、教員が気持ちよく仕事をできるようになることはひいては、その教員と友に過ごす子供たちにもよい影響を与えるのではないでしょうか。現場の教員として改革を望みます。

(出典:幻冬舎ゴールドオンライン『現役小学校教師が語る教育現場のリアル』2019年11月3日

以下、3点に分けて反論していく。

①公平・公正に評価する手立てが存在しない

まず、残念なことに、教育の世界には公平・公正に教師を評価する手段は存在しない。当該記事内にも評価する手立てについての言及はない。当然だ。存在しなからだ。

もちろん私も教師をしていて、この人はとてつもなく授業が上手だ(能力がある)という人と、その真逆の(能力の劣る)人の違いは分かっていたし、両者の給与が異なることについても納得できない気持ちがあったのも事実だ。

だが、仮に教師の能力を数値化できるとして(できないだろう)、確かに能力が0の人や100の人に対する評価は難しくないかもしれない。しかし現実的には、40~60位の教師のほうが圧倒的に多いはずだ。するとこの40~60位の教師を判断するにあたっては、評価する者、すなわち校長の教育的価値観に委ねられることになるのだ。そうなったらどういう未来が待っているかは明白だ。

校長の価値観に寄せる教員ばかりになるのだ。

これは、この小学校教諭は自分は能力があると自負している(給与がアップすると信じて疑わない)のだろうが、”なんとなくあなたのことが嫌いな”校長が着任した瞬間、理由も分からず評価が暴落するリスクもある、ということをも意味する。

教員が公平・公正に評価する手立てが存在しないのと同様に、評価者の評価が正当であるかのチェックも存在しないからだ。

②教育は数年後、数十年後に結果が出ることもある仕事

次に、これはよく言われることだが、「教育はその実践が即結果に表れるとは限らない」ということである。今教えたことが花が咲くのが数年後かもしれないし、数十年後かもしれない。そこが公教育の教師の難しさなのだ。

能力給を導入したら、即興的な結果だけを求める教育だけに傾倒していくのは間違いないだろう。学力テストの過去問練習などがその良い例だ。

この小学校教諭がそのように即興的な結果を評価される仕事を好むのであれば、塾・予備校への転職を希望する。塾・予備校では生徒も保護者も経営者もそのような価値観であろう。そのなかで多くの給与を貰えば良い。

③教師のやる気を引き出すのに必要なのは休みと仕事量

最後に、この小学校教諭は、能力給の導入で教師のやる気が引き出されるとしているが、果たして本当にそうだろうか。

私はそうは思わない。

教師のやる気を引き出すのに必要なのは、体力を回復する十分な休みと適切な仕事量だと思う。準備なしに授業に臨まざるを得ないような状況が教師のやる気を削ぐのだ。問題は給与ではない。

講師の人材不足や教員採用試験の倍率低下においてもそうだが、給与システムの問題ではなく、休みと仕事量の問題なのだ。

★まとめ

この言説、一見保護者や国民受けは良いかもしれない。保護者や国民の多くは民間労働者で「能力の高い人間にこそ高い給与が支払われるべきだ」という思考が当然にあるはずだからだ。しかし、当然公教育の教師と民間労働者は異なる。

今回の記事は、一見保護者・国民受けしそうな内容であることから非常に劣悪だ。

現職の小学校教諭が実名で執筆しているので、記事については所属自治体の教育委員会の確認済みなのだろう。これは、うがった見方をすれば教育委員会の言いたいことを代弁させているとも受け取れる。

そこまででないにしても、この小学校教諭は東京学芸大学から指導主事、主幹教諭と立派な経歴をお持ちであるにもかかわらず、非常に狭い視野のなかで仕事をしているようで非常に残念だ。

私のこのエントリーを読み、過剰な批判なのではないかという声もあるかもしれない。しかし、こういう言説は全力で否定していかないと、気づいたらいつのまにか常識になっている、そういうことがあり得ると私は考えている。そういうことを防ぐためには、徹底的に批判しておく必要がある。

公務員が所属を明らかにし、実名で記事を執筆している。当然、なかには批判はあるものとして記事を執筆しているはずだ。そうでなければ覚悟が足りないと言わざるを得ない。