そんな国語教育に警鐘を鳴らすのが、有元秀文著「まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育」です。
著者の有元氏は、高校教員として15年、文化庁の調査官として5年、国立教育政策研究所の研究官として22年、国語教育に携わってきた人です。
そんな国語教育に42年間かかわってきた著者が、現在の国語教育の問題点を次のように挙げています。
日本の国語教育の問題点は次の通りである。
①超遅読で授業の進み方がばかばかしいほど遅い授業法。
②異常なほど作中の人物の気持ちばかりを問う発問。
③教科書を絶対崇拝し、かけらも批判させない授業法。
④差別的で時代錯誤な物語文、子どもの読書意欲を喚起しない論理的に支離滅裂の説明文が満載の国語教科書。
⑤他の教科の学習にまったく役立たない授業内容。
⑥社会に出てから役立たない指導要領。
⑦子どもの嫌いな教科・教師がやりにくい教科のナンバーワン。私の知る限り、こんな効率の悪い国語の授業をやっているのは世界中で日本だけである。心ある者は、みんな気づいていることである。(出典:本書を読まれるみなさまへ)
心ある者は、みんな気づいている・・・。
まあ、その通りでしょうね。
今回は、なかでも「②異常なほど作中の人物の気持ちばかりを問う発問」について取り上げ、また別の教授方法について紹介します。
◆気持ちばかり聞く文学教材
物語文の文章読解において、国語の教科書には例えば次のような問いが立てられている。(必ず活用しなければならないわけではないが)
- 「スイミー」を読んで、どんなかんそうをもちましたか。<こくご二上 光村図書>
- いちばん心を打たれた場面を中心に、登場人物の気持ちを想像して書きなさい。<こくご四下 光村図書>
- ヒロ子の生き方、ヒロ子の思いや願いについて、話し合いましょう。<新しい国語六下 東京書籍>
確かに、どの教科書もどの物語教材もこんな感じで書いてあります。
そして、現場の実践として、どうして「気持ち、気持ち」になるかというと、それが楽だし、誰にでもできるからだと私は思います。
このような登場人物の気持ちばかりを問う発問に対し、有元氏はバッサリと、
子どもをなめているのではないか。これでどんな学力がつくのか。(中略)心情や人物像が読み取れてどうなるのだろう。あまりにも低レベルである。(出典:第3章 役に立たない教科書教材)
と斬り、文章を正確に読むスキル、ディスカッションによって課題を解決するスキルを教える必要があると説いています。
◆テクストを読むには3段階がある
有元氏は、テクストを読むには3段階があると述べます。
第一段階は、文章に書いてあることを文字通り「理解」することである。(出典:第3章 役に立たない教科書教材)
とし、その一例としてシーケンスチャートの作成を勧めています。
シーケンスチャートとは、物語のあらすじを正確につかむために作るもので、具体的には次のようなものです。
・兵十が川でうなぎをとっているとごんがうなぎをぬすむ。
↓
・ごんは兵十のおっかあのそうしきを見て、うなぎをとったことをこうかいする。
↓
・ごんはいわしをぬすんで兵十の家になげこむが、兵十がいわしやになぐられたことを知って、ごんはこうかいする。
↓
・ごんは兵十の家に毎日くりゃまつたけを持って行く。
↓
・加助がくりやまつたけは神様のおめぐみだと言うのをごんが聞いてくやしく思う。
↓
ごんが兵十の家にくりを持って行くと兵十はいたずらに来たと思ってじゅうで打つ。
↓
・兵十はくりを持ってきたのはごんだとわかる。(出典:第4章 国語の授業を改善する)
小学校教員時代、私はこれを実践したことがあります。
個人⇒グループで考えさせましたが、大変盛り上がり(その分、初めての取り組みだったこともあり、想定より結構時間はかかってしまったが)、テストも好成績でした。
話を戻して、有元氏はこの文章を「理解」する第一段階を踏まえたうえで、次の段階、「解釈」を行うと、質の高いディスカッションができるとしています。
第二段階は、文章を書いてあることをもとに書いていないことを推論する「解釈」である。例えば、スイミーは大きな魚はどうやって退治しようかと思って、考えに考え抜く。そいて岩陰に隠れていた小さな魚たちに呼びかけるとあっさりとスイミーの言いなりになる。なぜ小さな魚たちがスイミーの言いなりになったかは物語には書いていない。そこで読者は、なぜ言いなりになったのかを推論する必要がある。(中略)なぜほかの魚たちがスイミーの言うことを聞いたかは、話の中には書いていないからさまざまな解釈が可能なのである。わからないことをみんなでさまざまに推論するから楽しい。
(出典:第3章 役に立たない教科書教材)
言うまでもなくこの「解釈」は、勝手に推論するのではなく、叙述をもとに解釈していくことを指しています。
そして最後の段階(小学校段階では最後の段階)で、「クリティカル・リーディング」を勧めています。
第三段階はもっと楽しいはずである。
「スイミーの作戦は本当いうまくいくだろうか?」
「本当に一番いい作戦だろうか?」
「ほかにもっといいやり方はないだろうか?」
こうやって考えると子どもたちは個性と創造性を発揮できる。
(出典:第3章 役に立たない教科書教材)
私もこのような「クリティカル・リーディング」を実践したことがありますが、確かに有元氏の言う通り、子どもたちは個性と創造性を発揮できます。意欲も上がります。国語が苦手な児童への配慮や準備はとても大変でしたが・・・。
★まとめ
以上のように、登場人物の気持ちばかりを異常に問う現在の日本の国語教育はおかしいと思うし、それを改善する方法もあります。
しかしこのような方法で授業を進めていくためには、教員の知識・スキルとともに、「教材研究をする時間」「授業の準備時間」が必要となってきます。
知識・スキル、実践したい気持ちはあるけれど、日々の雑務に忙殺されて、ついつい仕方なく気持ちばかりを問う授業をせざるを得ない教員も中には結構いるのではないかと私は思います。
そういう教員を救うために、また子どもたちの学力向上のために、やはり教員が授業に専念できる環境が絶対に必要だと改めて感じました。
以上、元公立小学校教員トウワマコトによる、「異常なほど登場人物の気持ちばかり聞く小学校の国語教育はちゃんちゃらおかしいが、理解⇒解釈⇒クリティカル・リーディングで変えられる!」でした!