新刊『教員不足』を発行した、慶応義塾大学教職課程センター教授の佐久間亜紀教授が、『大竹まことゴールデンラジオ』を出演していて、素晴らしい内容だったため文字起こしします。
Q.教員不足が深刻なんですね?
今現場では先生が足りないし、それ以外にもたくさん問題を抱えてます。
私は大学で教員を育てる仕事を30年間してきているんですね。1番最初に教壇に立ったのが1996年ぐらい、その時に学生たちに言ってたのは「時間があれば学校の先生になったらとにかく子供と遊びましょうと。子供と関わって、そういう一見無駄に見える時間が1番先生として子供たちの気持ちを掴んで、先生として育つのに大事な時間だ」といういう風に教えていた、そんな時代でした。
「木曜日であることに絶望」
でも20年ぐらい経って、つまり2000年~2010年代の後半からですね、卒業し現場に出た先生になった人たちからもうほぼ悲鳴に近いような連絡が来るようになったんです。あるとき私がLINEアプリを開いたとき、「今日が木曜日であることに絶望しています」っていうそういうLINEが入っていて、もう思わずもうスマホ見入ってしまって、例えばその先生なんかは中学校の理科の先生になっても本当に望むべくしてなった子供大好きっていう先生だったんです。
けれど、中学校で担任の先生をやって、子供たちの世話をして、それから理科の授業を持って、研究主任のリーダーを務める仕事をやっていたんですが、そしたら同僚の理科の先生が産休に入られてしまって、その先生の分の仕事の変わりをする人が来ないって言われて、しょうがないからもう1人の理科の先生と2人で1.5倍の授業をするようになったとうんそしたら今度は教務主任っていう別の先生が心を病んでしまって、それでえっと校長先生から「もう本当申し訳ないけど、代わりが来ないって言われたから教務主任の仕事もやって」って言われたっていうんです。
教務主任というのは本来授業を全部免除されて取り組まなくちゃいけないくらい、学校の司令党の役割をする管理職なので本当に大変な仕事なんです。つまり、2人分か3人分の仕事をやれって言われて、なんとか踏ん張っているっていうそういう状況の中で「まだ木曜日なのか」と土曜日がどんだけ遠いのかっていう思いで私に呟いてくれたっていうのがそのような感じです。
現場はもうギリギリな感じですね。いつ援軍が来るかっていうのをみんなすごく待ちながら、なんとかここを踏ん張らなきいけないっていうんで、今回しているところですね。
リスナーの皆さんにご理解いただきたいのは「自分の子供が例えば通ってる学校で授業がちゃんと行われていたとしても、実は先生が足りてないわけでは全然ないっていうこと」なんです。今お話した先生みたいにその穴が飽きそうなところの仕事や授業を“自己犠牲的に”カバーしながらえっとなんとか子供たちに授業を届けようっていうその指命感で、先生たちが現場を回している、そういう状況だっていうことです。
2005年から採用控えの政治的決断がなされた
Q.なぜ補充の先生が来ないんですか?
私たちの研究室が行った調査で何が分かったかって言うと、非正規雇用の先生がいなくなっちゃったからです。
非正規の先生というのはその正規雇用の先生は4月に担任の先生として学校に配置されてますけどそこに穴が開くので、例えば産休に入ったり病気になったりうんでその時に代わりの先生が必要だったので非正規の先生っていうのが前々から存在していて、私もかつてやってたんですけどその人たちが今いなくなっちゃったんです。
非正規の供給が減ってるんじゃなくて、元々非正規になっていた人たちは例年いたんですが、そのポストをうめられなくなっちゃったことが1番大きな原因ということが調査から分かったんです。
じゃあ、なんでその非正規のポストがすごく増えちゃったのかっていうと、正規雇用の先生たちが必要だって分かってるのに採用控えをして、あるいは定数を減らされて正規雇用の先生をちゃんと必要な分雇ってもらえなくなっちゃったっていうのが、2005年から始まっているんです。
なので、その20年間の結果としてピンチヒッターが来ない。
Q.この正規をちゃんと配置できればいいわけですよね?
本来ならば通りですなので10年ぐらい前からもう私もあのこのまま座して子たちの悲鳴を聞いてはいられないと思ってあのインターネットに投稿したりとか、現場の人たちみんな声をあげて「先生足りない」っていうことを言ってたんですけれども、「お金がないので増やせません」とそういう結論になっていると、もう絶対に教員定数は増やさないっていう政治的な決断が先にあって、模索されてきたけどもうどうにもならないとまで来てしまったっていうのが私自身の見解です。
本来ならばいなくちゃいけない先生がいなくなったとだけども、国の方としてはこの先の少子化を見ていると「教員の正規採用を増やすと逆に生徒が少なくなってきちゃった時に先生が余っちゃうんじゃないか」みたいなことを今から考えて正規教員の数をちゃんと増やさない政策にしてきた。
Q.非正規の人たちももうそんなに数がいるわけじゃないから、慢性的に教員が足りないっていう現実が小中学校を覆っているということですか?
もう素晴らしいです、その通りなんです。どうしてその各自治体が先生を採用しなくちゃいけなくなったのかていうところもまた問題なんですよね。先生たちのお給料っていうのは実はあの日本は中間型って言われていましてえっと各地方自治体とそれから国とがえ切してえっと分担していきましょうとで昔は1/2ずつだったんですけど、今は国が1/3で各地方自治体が2/3をあの人件費負担するていうことになっているんですね。
本来は少子化の時こそ先生の数を維持して、少人数学級を実現すべきだった
なので、各自治体としてはどれだけの先生を養成して確保していかなきゃいけないかっていうのを10年ぐらいのスパンであの計画を立てていくんですけれど、今必要な先生を全員非正規雇用しちゃったら子供が減ってったら余っちゃうんじゃないかっていう風に考えますよね、ところがです、他の国はそうは考えないわけです。どういうことかっていうと子供の数が増えてる時っていうのは、ただ黙っていても多くの先生が必要になるので、それだけで予算が増えちゃうんですね。つまり教育の環境とか子供たちの学習環境をよくしていこうと思ったら少子化の時はチャンスなんです。
つまり1人あたりの子供のにあのの先生の数を増やせるチャンスなんですね。予算を増やさなくても子供の数が減っていくので、少子化の時こそ子供の今までいる先生を減らさないでそのまま維持していれば、子供の学習環境が良くなっていくし、先生の労働環境も良くなっていくので、だから本当だったらその時にえっと1人当たりの子供1人当たりの先生の数を増やしていければよかったんです。
つまり、採用控えしないでそのまま維持していたら良かったし、多分多くの自治体はそうしたかった。でもえっと予算が足りないそしてそのうん大きな背景にあったのは行在政改革だったんです。つまり、もう教育公務員の数を減らしなさいというのが至上命題として降りてきて国全体で小さな政府で行きましょう、公的な支出を抑えていきましょう、っていうことになったのではい三位一体の改革っていうやつですね。
それで国が2005年に先生の数をちょっとずつ増やしていきましょうっていう長期的な補助するうん自治体を補助する計画をストップしちゃったんです。日本は戦後間もい頃からどんなにオイルショックがあって経済的に厳しい時代あるいは子供たちがあのベビーブームで増えているような時代でもすごく頑張って、少しでもいいから子供たちの学習環境を良くしようっていう努力をひめなくあのやってきたんです。その教職員改善計画っていうのをやめちゃった。だから国からの援助が全くないっていう見通しの中では各地方自治体はそうやって採用控えをせざる得ない状況になっていたっていう、そういうことです。
今おっしゃってる中で本来ならば生徒が少ないことこそがチャンスで、例えばね30人の1クラスっていうのがもし教員が増えてればここで20人1クラスなっていくと余計教えやすい環境ができてたはずなのに。
また、コロナ禍もありましたけれど、またいつどんな感染症が流行るかも分かりませんよね。それからやっぱりギュウギュウ詰めの教室40人1つの教室にいるとあの行かれると分かると思うんですけども圧迫感がすごいんです。なのでそのコロナ間の時に1クラス仕方なくその密になっちゃいけないっていうやつで2つのクラスに分けてで1日先生たち同じ授業回やらなきゃいけない状況になったんです。
けど逆に子供たちや保護者からそれがとってもいいと「先生の声が聞きやすいし、質問もしやすいし、先生とお話もしやすいし」ととってもいいっていう風にみんな声が上がったっていうようなことなんですよね。だから本来だったら少子化だから採用控えにはならなくて少子化だからよしこれで小人数学級にしていけいこう、先生の数を維持していこうという風になってほしかったんです。
アメリカとの比較
Q.AIで教員の仕事量は減りますか?
先生は本来だったら先生じゃなくてもっとスタッフの人がやる仕事があって、日本は特にその教員以外のスタッフがあの世界最小なんです。もっと言うと学校にいる先生の数が先進諸国で少ないんです。で、もっと減らせっていう話なんです。
そうしたら世界のどこの国でもないぐらい少ない大人が、あの日中の子供の命を守ることからお勉強をさせることからせ成長を育てることからさせなきゃいけないよ、っていう話になっちゃうっていうことなんですよね。
それから2つ目はあのえっと日本のこれは教育の強さよいいいところだったと思ってるんですけど、例えばアメリカの学校の先生たちは授業しかしないんです。授業だけだから職員室なんてないんです。朝があの家からお弁当持って教室に来てで教室に荷物置いてそのまま授業やって小学校の先生なんか授業終わったら帰ります。子供の成長を責任を持ってそのトータルに見るっていうそういう仕事ではないんですね。本当にお勉強を見るだけの仕事がアメリカの学校の先生の仕事って言っても過言ではない。ところが日本は色々なあの全人格的ななんていう関わりがある学級っていうのがあって、クラスみんなで入学をお祝いしてそれから色々な行事があって遠足行ったり修学旅行行ったりうん運動会運動会とか合唱祭とかいろんなイベントがあってその中で一緒に泣いたり笑ったりそういう経験をすることでいい思い出って言うんですかね、子供の人格の丸々の発達を支援するっていうそういうのが日本の学校っていう、良い意味でも悪い意味でもそういう仕事だったわけです。で、それって際限がない仕事ですよね。アメリカの学校の先生なんかいじめにあって悩んでる子が来ると「うん分かったカウンセラーのとこ行って」というそういう人も多いんですね。「それ私の仕事じゃないから」っていう感じだけど日本はそんなことできないじゃないですか。みんな、そういうことこそしたくて教員になろうと思ってなってる先生たちなので、子供のことを大切に見ようとする。そうすると本当に時間がかかる仕事になるっていうのはそれが日本の学校の先生の良さであり、変であるっていうことです。
だからアメリカみたいになるんだったら、むしろあの1人当たりの先生が見なきゃいけない子供の数を減らして、そして今までのあの子供たちとの全人的な関わりっていうのは維持できるような方向になってほしいなって思ってます。でも今は逆に先生の仕事減らすためにもう運動会いらないんじゃない、修学旅行大変だからそれもいらないこれもいらない、そういうになっていくとなんかむしろ子供は学校に来たくなくなっちゃうんじゃないかなっていう風にもあの危惧しています。
本来ならば先生のやる仕事アメリカはちょっとやりすぎだけどそれだけじゃなくて、もっとまいろんな催し物とか全部先生が関わっていくみたいなのはほんの少しそこは人数を入れて、そこは補給しなくちゃいけない。やんなくちゃいけない仕事が多すぎる。
それが1つと、あと先生の数がもう圧倒的に今でも少ないことなんです。なのでその先生の仕事をこれからどういう風にしていくのか、つまり私たちが先生に何を期待してどういう仕事をしてほしいと思うのかということに依っていて、先ほどのご質問のAIにしても例えばアメリカの先生みたいに授業だけやるのが仕事だったらもしかしたらAIに置き換えてもね少しは可能なのかもしれないですけど、それ大人の人が何か資格を取りたくてあの勉強するんだったらその生の話聞かなくてもオンデマンドで好きな時にビデオ見てというんでも良いかもしれないですけど、相手は幼稚園や小学校や中学校の子供たちですよね。でその子供たちの人格を人間になっていくプロセスそのものなので、それをAIで置き換えるっていうのは私はむしろ逆効果っていうか、そんなことできないんじゃないかと。AIを導入して先生を減らすっていうことで子供たちが人間とのコミュニケーションから阻害されていくんだったら良くないなって思います。
日本は今、みんなが安心して育てるチャンスを維持できるかの瀬戸際
Q.いまアメリカを見てると教育格差が大きく開いている。裕福なところは先生もちゃんとして、そうじゃないところはその教員も足りなくて、教育格差が大きくなっていってしまいその格差の大きさみたいなのが問題になってますよね?
本当におっしゃる通りであの私もアメリカに一時期住んでいたんですけれどもその格サタや日本の私からすると想像を絶する世界なんですね。であの週によっては公立学校がもう先生がいないので開けられないから週4日制になっているところとか、誰でもいいから子供たちの安全を見てる人が必要なので軍人さんたちを連れてきて教壇に立たせる州が増えていたり、あるいは低賃金で予算をつける文化がないんですよね、アメリカには。なので低賃金で移民の人たちを連れてきてフィリピンから先生を入れてくるという長い歴史があります。そんな風になってしまっているとやっぱりあの中間層以上の人たちはもう公立学校に子供はちょっとやれないっていう話になってくる。そうすると私立に行かせるんですけど、またその学費がべらぼうんですよね。特にあのいろんな事件も起こるのでそのガードマンとか学校保守のなるほど警備代がとても高騰していて、なのでそのミドルクラスの人たちもえっと学費払えなくなってきていてじゃあどうするっていうで結局公立学校に頼らざる得なくなるんですけど、その公立学校が破綻しているのでえ子供たちがあの逆境に置かれてる子供たちほどいい先生に巡り合えるチャンスが減っているっていうのがアメリカの状況です。
だから先生の数が足りないっていうのは単なる人手不足の問題だと思わないでいただきたくてこれからの日本がみんなが安心して育てるチャンスを持てる国になるかどうかっていう瀬戸際だっていう風に思っていただけるとありがたいなと思います。
放ってけばアメリカみたいにどんどんなっていくぞ、とそういうことです。教育格差が生まれてくると負の連鎖が起こってしまうと教育も受けていけられないっていうのが、今日本がそういう瀬戸際に学校が来ている、もうギリギリだと思います。今なら間に合うかもしれない。
本当になんでこんな大変なのに踏ん張ってるかっていうと、先生はいい仕事なんですよ。教職は卒業してからも先生って言ってきてくれるような、そんな仕事他にないので、是非教員になりたい人たちが安心して先生になれる世の中を作っていきたいなって思っています。