
2030年度から実施される予定の次期学習指導要領。
現在、改訂のために中教審で審議が行われていますが、私は「そもそも学習指導要領をなくすべきでは?」「少なくともその議論をすべきなのでは?」と思っています。本記事ではそのことについて書いていきたいと思います。
2024年度、小・中学校における不登校児童生徒数は過去最多の35万人になり、教員の休職者数も過去最多の7100人を超えました。これは現在の学習指導要領が失敗したことを意味するのではないでしょうか。
指導要領のメリットとデメリット
そもそもですが、学習指導要領は必要なのでしょうか。
確かに学習指導要領のメリットとして、「日本全国どこに住んでいても一律同じ教育を受けることができる」という大きなメリットがあります。しかし、このメリットの裏返しとして、「児童生徒の実態に合わせた教育活動ができない」というデメリットを生んでいます。
つまり、子どもたちが理解していようがしていまいが先に学習は進んでいく(し、逆に理解が充分にもかかわらず先の学習には進めない、という事態も起きる)わけです。
私はこれが不登校の大きな一因になっていると考えます。
もちろん、不登校の原因は学業不振だけではありません。友達や教師との関係や、病気や家庭の問題など原因は多岐にたります。
しかし、学校の基本は勉強であり、そこでの理解や時間的な余裕が精神的なゆとりを生み、それが友人関係等にも影響を及ぼすのは間違いありません。
行事前に子どもたちが荒れるのはチャンチャラおかしい
先生方が”子どもたちあるある”として口を揃えて言うセリフがあります。それは、「行事前、子どもたちが荒れる」というものです。
現在の指導要領は学習内容を詰め込みすぎてカリキュラム・オーバーロードになっていますが、なかでも運動会や学芸会など行事の前になると、子どもたちはやらなければならないことが多いにかかわらず、時間が充分に用意されていないため、普段よりもイライラし、喧嘩が多発したり、様々な問題行動を引き起こしたりすることが多い、という意味です。
しかし、そもそも私は「行事前は荒れる」というのは、チャンチャラおかしいと思うわけです。あらかじめ”荒れる”と分かっているのであれば、そんな行事やらなければ(あるいは他の学習を減らせば)良いわけです。
しかし、現在の日本の学習指導要領制度では、現場の教師にその裁量がありません。だからあらかじめ”荒れる”と分かっていても、取り組まざるを得ないわけです。
このことは今、「全国どこにいても同じ教育が受けられる」というメリットより、はるかに大きなデメリットになっているのではないでしょうか。
このような大きなデメリットがあるからこそ、教育先進国といわれる他国では学習指導要領の制度はありません。現場の教師にその裁量を与えているのです。
時代は多様性の時代です。
子どもたちの実態に合わせた教育が必要となってきています。そういう時代において、学習指導要領のような中央集権的な制度は弊害が大きいと言わざるを得ません。
実際、35万人もの児童生徒が代替の制度も整備されておらず不登校になっているのです。
以上により、私は学習指導要領の改訂のための審議において、「そもそも学習指導要領は必要なのか(あるいは位置づけについて)」という議論が必要だと思いますが、”みんな一緒”が大好きな国民性ではそんな議論は行われないのだろうと半ばもう諦めています。