学期の終わりに子どもが持ち帰ってきますよね、通知表(通称:あゆみ)。
今回はこの通知表、
- 担任はどのようにして評価をつけているのか
- それを踏まえ、保護者はどのように通知表を見れば良いのか
について、元教員(担任)の経験からまとめました。
◆そもそも通知表(あゆみ)とは? 目的は?
通知表とは、学期の終わりに子どもの成績や生活の記録を子ども本人と保護者に通知する書類です。
では、その目的は何でしょう。
もちろん、まず前述のとおり、子ども本人と保護者に成績や生活の記録を通知することです。
もう一つ大事な目的があります。
それは、子どものやる気を高めることです。
昔は、こんな目的ありませんでした。もし我が子が悪い成績とってきたら、「なんだこの成績は!」って親がぶん殴って、子どもは反省し、勉強に精を出す、みたいな感じでそんな必要なかったからです。
当然ながら今はそんなことやったら児童虐待で通報されるし、子どもはますますやる気をなくす時代です。
ですから、(良い悪いは別として)時代の変化によって、通知表の役割が変わったんですね。
◆内容は?
具体的な内容としては、
- 学習の記録
- 生活の記録
- 所見
- 出欠席の記録
などです。細かくは自治体や学校によっても異なりますが、大体このような内容です。
学習の記録は、「数量や図形に関心をもち、意欲的に調べようとする」みたいな目標に対して、「よくできた(A)」「できた(B)」「もう少し(C)」の評価がつけられます。
生活の記録は、「元気の良いあいさつや正しい言葉づかいができる」みたいな目標に対し、同じように「よくできた(A)」「できた(B)」「もう少し(C)」の評価がつけられます。
所見は、担任の教員が数値だけ図り切れない、子どもの努力や活躍を100~200字程度の文章で記録したものです。
出欠席の記録は、出席数、欠席数の記録です。ちなみに、出席停止(感染症での欠席、忌引等)は欠席にはなりません。
◆評価の方法は、絶対評価
「学習の記録」「生活の記録」この2つは、相対評価の時代もありましたが、上でも書いたとおり、現在は子どものやる気を高めるという目的がありますので、今は絶対評価です。
つまり、クラスの他の子どもの出来は関係なく、学習到達具合で評価がなされるのです。
ではその学習到達具合ですが、客観的な数字はあるのでしょうか。
あります。
学校や学年で決定しています。
例えば私が勤務いていた学校では、
- A評価「よくできた」⇒90点以上
- B評価「できた」⇒60点以上
- C評価「もう少し」⇒60点未満
と決められていました。
ちなみに、小学校は3段階評価の学校が多いです。
◆実はめちゃくちゃ曖昧? 評価(評定)のつけ方
基準となる数値があるので、主要教科といわれる国・算・理・社は、ある程度客観的に評価を決定することができます。(「関心・意欲・態度」を除く)
学期中に行った単元テストの合計を計算して平均を出せば良いからです。
しかし、図工・音楽などの数字に置き換えることが難しい芸術系教科は主観が入る余地のある教科です。
だって、図工で子どもが描いた絵を見て、「材料などの特徴をもとに、豊かな発想をしたり、構成をしたする」みたいな基準に対して、これ90点、これ60点、って主観入りまくるに決まっています。
もちろん本来は授業で、このように出来たら90点ですよ、ここまでだったら60点ですよ、と子どもに明確に基準に提示したうえでやるべきなのですが、実際図工でそこまで出来ている先生、少数です。
ですから、芸術系教科の評価は主観が入りやすくなります。
同様に、数値化できない主要教科の関心・意欲・態度」についても、同じことがいえます。子どもの「やる気」は容易に数値化できないので、どうしても主観が入らざるを得ません。
そういうわけなので、芸術系教科や主要教科の「関心・意欲・態度」は、担任の主観が入りやすい評価だと思って見た方が良いといえます。
◆担任によって違う? 評価(評定)のつけ方?
結論から言うと、担任によって違います。
先ほども書いたとおり、基準となる数字は同じものを使っています。
しかし、主観が入りやすいものもあるし、ボーダーの子の扱いは担任の裁量によるものになります。
例えば担任は、ボーダーの子のがいて、「この子の性格・能力だったら、ボーダーの上の評価を与えたらサボるな」とか、「逆にこの子は能力は低いのに努力をしていたとなれば、上の評価を与えることで、やる気を出させよう」などと考えます。
前述の通り、現在の通知表の目的ほ一つに子どものやる気を上げることがありますから、担任にこのような裁量が認められているのです。
でもそれは結局つまるところ担任の主観なので、担任によって評価のつけ方が変わってしまうのです。
また、そもそもの姿勢が担任によって異なる場合もあります。
例えば、年配の先生には昔の相対評価のクセがついているのか、厳しめの先生がいます。
あるいは、事なかれ主義の先生は、ばんばん「よくできた(A)」を出します。A評価でクレームいれてくる親、いないですからね。
というように、教員によっても、評価のつけ方には差があります。
ですから、よく子どものやる気を上げさせるために、「よくできた」が○つ増えたらゲームを買ってあげる、みたいな約束をしている親が結構いますが、担任によって評価のつけ方に差があるのにね(哀)・・・と私は担任時代思っていました。
だから、通知表ごほうびはNGなんです!(他にも理由はありますが)
◆担任の力量によっても変わる!
前ページで担任によって評価のつけ方が違うことをお伝えしてきましたが、主観や姿勢だけでなく、担任の教える力量によっても評価のつけ方は変わります。
例えば、同じ学年でそれほど子どもたちに差がないクラス同士なのに、1組ではA評価「よくできた」が30人、2組ではクラス10人、ということが往々にしてあります。
授業が上手な先生のクラスは子どもの理解度も高いので、必然的にテストの点数も良いので、A評価「よくできた」の人数も多くなるのに対して、授業が下手な先生はその逆になります。
ですから、実は担任にとって子どもの評価をつけることは、自身の教え方への評価でもあるわけです。
・・・ということは、A評価「よくできた」が増えた(減った)からといって、子どもが成長した(していない)とは言い切れないところがあるのです。
だから、ちょっと、この評価理解できない、保護者がそう感じるときもあると思います。そういうときに考えられるは次のとおりです。
◆この評価、甘すぎじゃない? 「よくできる」が多い理由は?
我が子の通知表を見たとき、普段の親の評価に比べて、随分高めの評価をされてるなと感じることがあると思います。
そのようなとき、考えられる理由は次のようなことです。
- 担任の勉強の教え方が上手いから。
- 担任の評価のつけ方の問題で、本当はボーダーだけれど子どものやる気を上げるために、上の評価をつけてくれているから。
- 担任の評価のつけ方の問題で、親からのクレームを回避するために「事なかれ主義」で甘いから。
- 実は正当な評価で、子どもが本当に成長しているから。
◆この評価、厳しすぎじゃない? その理由は?
逆に、普段の我が子を見ていて、これは厳しくないか、ウチの子はもっとできるのでは? と感じることもあると思います。
そのようなとき、次のような理由によって評価がつけられている可能性があります。
- 担任の勉強の教え方が下手だから。(担任と子どもの相性が合わないことも含む)
- 担任の評価のつけ方の問題で、本当はボーダーだけれど子どものやる気を上げる(奮起を期待する)ために、下の評価をつけているから。
- 担任の評価のつけ方の問題で、本来絶対評価でつけるべきなのに勘違いして相対評価のつけ方でつけているから。
- 実は正当な評価で、単純に子どもが勉強できていないから。
◆しかし「もう少し」は厳しめじゃない!
前述の通り、担任の主観や姿勢、力量によって、担任によって評価は変わります。
ですから、今回の先生、「よくできた(A評価)」が少なくて、「できた(B評価)」が多くて厳しめだな~と感じることがあるかもしれません。
しかし、「もう少し(C評価)」が多くて厳しめだな~っていうのは間違っている場合が多いです。
なぜか?
「もう少し(C評価)」、これ、よっぽどダメじゃない限り、つけません。
なぜか?
事なかれ主義の先生でなくても、教員、みんななるべくクレーム避けたいですから。今の小学校、絶対評価なんですから。
しかしそれでもこの子のためにC評価つけた方が良い、あるいはC評価しかつけようがない、そういう場合につけるんですよ、C評価って。
だから担任はC評価つける場合、親からクレーム来ても良いように、証拠資料(テストの結果や宿題の提出状況の記録等)を用意したうえでC評価つけます、まともな教員なら。
で、前ページで書いた通り、「もう少し(C評価)」って、60点未満です。
小学校の単元テスト、業者から購入するケースがほとんどですが、超簡単ですよ、あれ。普通に授業聞いていれば、60点以上、余裕です。
苦手な単元があって、そのテストだけ60点未満だった。そういうことはあるでしょう。
しかし学期中にはいくつかの単元があります。評価はそれらの平均で出すので、それで60点未満、ヤバいと思った方が絶対良いです。落ちこぼれている、と。そして、原因を突き止めて対策を打った方が良いです。
例えば原因として考えられることは、
- 授業中おしゃべりをしたり、忘れ物だらけできちんと勉強していないから。
- そもそも前学年の学習内容を理解していないから。
- (軽度も含む)発達障害、学習障害があるから。
- 先生の授業が下手だから(先生と相性が合わないことも含む)。
こんな感じです。当然、これ以外にもありますが、原因を突き止めて、対策を打つべきです。そうしないと、学年が進むにつれて、取り返しがつかなくなります。
◆所見は基本良いことしか書かれない!
続いて所見です。
所見、基本的には100~200字程度です。電子化して、文字数が増えた自治体も多いです。
具体的には、
- 総合所見
- 生活所見
- 生活科・総合的な学習の所見
- 外国語活動の所見
があります。
担任はこれを授業の準備や校務分掌などの普段の仕事と平行して、クラスの児童の人数分を書き上げなくてはならないので、とても大変です。
平日の残業だけでは終わらず、休日出勤をして書き上げる担任も少なくありません。
大変な思いをして書いているので、飛ばし読みではなく、ぜひじっくりと読んでほしいものです。
ただし、基本内容は良いことしか書いていません。
良いか悪いかは別にして昔とは違い今は、よく言えば子どものやる気を向上させる、悪く言えば子どもをヨイショする内容しか書かれません。
ポジティブにとらえれば子どもの長所が書かれているので、親ならば既に知っていることかもしれませんが、改めて子どもと確認する良い機会にできると思います。
ネガティブなことはほとんど書かれませんが、場合によっては他の子どもの学習を妨害しているような本当に酷い児童に対しては、悪いことは書けないが”ほんのり匂わす”担任もなかにはいます。そうすることで保護者にやんわり伝えようとしているのです。
万が一、ネガティブなことが書かれている場合は、よっぽどのことだと思って、子どもと確認した方が良いと思います。
◆所見が短い先生は熱心ではない?
文章が下手で長くなっている場合は除けば、所見の文章長い先生、熱心な先生に間違いないです。
ほとんどの担任、プライベートを犠牲にして書いているので、熱心じゃないはずがありません。
じゃあ、逆に所見が短い担任、熱心ではないのか!?
そう思ってしまいますよね。しかし、必ずしもそうとは言えません。
なぜなら、所見より普段の授業を大切にしている担任もいるからです。
所見は大抵1回読んだら終わりです。だったら所見に何時間もかけるより、毎日の授業の準備をした方がよっぽど子どものためにもなるではないか!
そう考えて、効率的に所見を書く担任もいるのです。(もちろんなかには単純に熱意のない担任もいますが)
なので、
- 所見長い担任⇒熱心である
- 所見短い担任⇒熱心でないとは言い切れない
こういう感じでとらえるべきだと私は思います。
★まとめ
- 評価のつけ方は、担任の主観・姿勢・力量によって変わる
- 「もう少し(C評価)」は厳しめではない
- 所見は基本良いことしか書かれない
通知表はあくまでも担任の評価であり、決して絶対的なものではなく、良くも悪くも曖昧な基準で評価がつけられているものであると理解したうえで我が子の通知表を見ると良いと思います。
以上、元小学校教員トウワマコトによる、「小学校の通知表の見方~バラしますあゆみのつけ方~」でした!
◆新刊のお知らせ
今、学校は疲弊している――調査・報告書ばかり要求する教育委員会、無責任で保身しか考えない学校長、行事に過度な期待を寄せる親――草の根の現場経験から実例を挙げながら、リアルな学校の実情・問題点などを浮き彫りにする。
また、時代の変化に対応できないPTAの問題や職員室の内情にも切り込んでいく。 子どもファーストで動かない学校。そのような学校とどのように対峙したら良いのか。連絡帳の書き方や通知表の見方等、担任や学校と信頼関係を築きたい保護者へのアドバイスも行う。
現状を変えていくためには“外圧”しかない。保護者、教育関係者必読の書である。