元教員が挙げる、勤務時間外無給労働「挨拶運動」を訝しい目で見ていた3つの理由

朝の勤務時間前に行われる「挨拶運動」。

担当の子どもたち+教員が校門の前に立って、襷をかけたりして、挨拶を行う取り組みです。

この挨拶運動、時間にすればたった10~15分ですが、朝の10分は貴重です。

実施方法、時期等は地域・学校によって異なりますが、その多く教員が残業代・振替なしで担当させられる、というところは共通なようです。

なぜ多くの学校で実施されているかというと、時間外労働を厭わない多くの教員や管理職による、「挨拶運動信仰」があるからです。

自主的活動と称してまで教員に時間外労働を課して実施するほどの効果があるのか、私は甚だ疑問です。

今回は、元公立小学校教員による、「勤務時間外無給労働『挨拶運動』を訝しい目で見ていた3つの理由」です。

1.「挨拶するのはその時だけ」の子どもが多い

挨拶運動をきっかけに挨拶し始める子ども、どれくらいいるのでしょうか。

学校では困難なこともあり、そのような検証は行われません。

よって、「やらないよりやった方が良いだろう」ということで、実施されることになります。

確かにやらないよりやった方が良いでしょうが、そんなことを言い出したら仕事にキリがなく、実際今の学校現場はこの論理でキリがない業務に追われています。しかも多くの学校では勤務時間前に振替なしで行われているのが実態だと思います。

私はこの挨拶運動、

  • 普段から挨拶する子ども⇒挨拶運動関係なしに挨拶する
  • 普段、挨拶しない子ども⇒挨拶運動のときだけする

大多数の子どもが上記の例にあてはまり、本来のねらいである、

  • 挨拶運動をきっかけに普段も挨拶をするようになる

子どもはほとんんどいないのではないかと思っています。

もちろん私が経験した実施方法が悪かったという可能性もあり、完全に主観ではありますが。

2.教員は指導した気分になっているだけ

一方、子どもたちに大して効果がない可能性が高いにもかかわらず、教員の方は安易に「指導した気分になれる」のがこの挨拶運動の特徴です。

計画書や報告書の類に分かりやすく自身の取り組み(努力)として書ける、ということもあります。

要するに、大人の自己満足です。

子どもたちに半強制的に挨拶する場を設定し、それで「仕事をした」ということにできるので、勤務時間外の労働を厭わない教員にとっては大変お手軽な指導なのです。

3.挨拶は親の躾、勤務時間外まで教員が挨拶の教育を行う必要があるのか?

挨拶はすべて家庭の責任で、教員は一切指導する必要がない、とは思っていません。

教室に入ってくる子どもたちが挨拶をしなければその都度指導するべきだし、外部の人と関わる機会にはきちんと挨拶させる指導も必要だと思っています。

しかし、それは「勤務時間内に限って」です。

勤務時間外については、完全に親の責任です。

形式的にはあくまでも教員の自主的活動として、実質的には勤務時間外に活動を強要している挨拶運動、教員にそこまでの教育の責任はないと考えます。

その線引きを曖昧にすると、前述のとおり、教員はキリのない業務に追われることになります。

この線引きを曖昧にする、挨拶運動、やめるべきです。

★まとめ

教員時代、挨拶運動は善きものだという、教員の「挨拶運動信仰」を私は訝しい目で見ていました。

その理由は上記のとおりです。

ただし、勤務時間内に行われるのであればその限りではありません。(効果は微妙だとも思いますが、これはあくまで主観です)

教員の最も大事な仕事は、授業と学級経営です。これらの業務に集中できるよう、一線を越えた仕事がなくなることを望みます。

以上、元公立小学校教員トウワマコトによる、「勤務時間外無給労働「挨拶運動」を訝しい目で見ていた3つの理由」でした!