【高裁】第1回埼玉教員超勤裁判の原告先生と県の主張の要旨をまとめた

地裁判決を受けて原告先生が上告していた裁判、3月10日、東京高裁で第1回目埼玉教員超勤訴訟の公判が行われました。

教員の時間外労働に残業代が支払われないのは違法だとして、埼玉県の公立小学校の男性教員が県に未払い賃金約242万円の支払いなどを求めた訴訟は東京高裁に審理の場が移った。原告側は教員の長時間労働の現状に対し、公平・公正な判断を行うよう訴えた。県側は棄却を求めている。第1審で原告の請求は棄却されている。

『埼玉・公立小教員の残業代訴訟、東京高裁で控訴審始まる』(日本教育新聞2022年3月21日

私はこの訴訟、今後の日本の公立学校教員の働き方を左右する裁判だと感じ、継続的に注目しています。

先日、裁判資料(埼玉教員超勤訴訟・田中まさおのサイト)が公開されましたので、今回も全文読む余裕がない方に向けて重要と思われる部分を抜粋して、整理しました。

◆原告先生の主な主張

・さいたま地裁判決は、教員の時間外勤務には自主的な部分があり、 それは労働ではないと判断しました。私はこの判決を受けて、自分たちが行ってきた時間外勤務は自主的ではない、そもそも『自主的かどうかは自分が決めることで、管理者が決めるのはどう考えてもおかしい』と感じました。

・さいたま地裁判決の問題点について、私は次(5点)のように考えています。

①裁判所は、学校長が勤務時間外の登校指導や朝会準備等を命じた事実や、休憩時間中に学校行事や会議を入れて休憩を取らせなかった事実を認めました。しかし、このような労働基準法違反の事実が認められながら、私の請求は棄却されました。 雇用主である被告の法律違反行為 の存在を認めながら、その被告の責任が全く問われないのは不合理です。

② 判決は、教員の時間外勤務は、自主的労働と校長の指揮命令下の労働が混然一体となっているため、時間管理が難しいとしました。しかし、私が勤務時間外に行ってきた仕事は、明らかに自主的労働ではな く、学校長に命じられた仕事です。力関係で上位に ある雇用主の都合によって、下位にある労働者に「自主的労働」を求めるこ とは、事実上、労働を強制することに当たります。

③ 被告は、私に時間外勤務は命じていないと主張しています。これに対し、 私は、勤務時間内に仕事が終わらない仕事を命じることは、時間外勤務を命じることと同じであると主張してきました。判決は、「自主的な仕事と校長の指揮命令下の労働が渾然一体となっており時間管理が難しい」と述べ、被告が私に時間外勤務を命じた事実があったかどうかを判断しませんでした。これは、私の主張に対する判決にはなっていません。

④ 判決は授業の準備は1コマ5分で足りると判断しました。しかし、 授業は学習指導要領に沿って行われるものであり、その授業に対する準備が 1コマ5分でできるはずがありません。判決は、教員の労働を著しく低く評価しています。

⑤ 判決は、労働時間として認められた勤務時間外の仕事は、正規の勤務時間内の空き時間にできたはずであると判断しました。これも大きな誤りです。 私は、時間外勤務における教員の仕事を、証拠によって明らかにしました。 これに対し、被告は「正規の勤務時間内に仕事が終わらないとは限らない」 と主張しましたが、正規の勤務時間内で仕事ができたことについて具体的な事実を述べたわけでも、証拠を提出したわけでもありません。私は、 正規の勤務時間内には、子供たちの対応をはじめとする膨大かつ数限りない 仕事に追われ、休憩時間を取ることができないほど、トイレに行くことを1 時間後に後回しにして我慢するほど、忙しい時間を過ごしていました。

◆原告先生側弁護士の主な主張

・(一審判決は)恒常的に長時間の時間外労働を余儀なくされていた控訴人の労働実態には明らかに反している。

・(その理由は)控訴人が「自主的かつ自律的に行った」業務については、本件校長の指揮命令に基づいて行ったとはいえず、これに従事した時間は労働時間に当たらないとした点にある。

・個々の業務が、勤務時間「内」に行われたのか、勤務時間「外」に 行われたのかを、厳密に分別することは困難である。また、個々の業務が「自主的・自律的」な業務なのかそうでない業務なのかを区別すること自体、教員 の労働実態には全く合致しない。本来、教員が児童や学校運営のために従事し、 校長が容認していた業務は、全て等しく労働と評価すべきである。

・それにもかかわらず、個々の業務を「労働」「労働ではない自主的・自律的な業務」に切り分けて、前者の労働時間のみを一つ一つ積算した、一審判決の判断枠組みは、労働時間の認定手法として極めて不合理である。

・控訴人が従事した業務について、「自主的かつ自律的」に行われていたという側面があったとしても、使用者の関与が認められ、使用者の業務への従事といえる以上は、労働時間該当性を肯定すべきである。

・一審判決は、「現在のわが国における教育現場の実情としては、多くの教育職員が、学校長の職務命令などから一定の時間外勤務に従事せざるを得ない状況にあり」「わが国の将来を担う児童生徒の教育を今一層充実したものとするた めにも……教育現場の勤務環境の改善が図られることを切に望む」などと付言した。この「付言」は、裁判所としても、控訴人が勤務時間外において長時間にわたり業務に従事していた事実を認めざるを得なかったことから判示されたものであろう。

・被控訴人は、一審から一貫して、本件校長は明示的にも黙示的にも控訴人に対し時間外勤務を「命じていない」と主張してきた。 これに対し、一審判決は、上記被控訴人の主張を明確に否定し、控訴人が正規の勤務時間外に業務に従事した時間の一部について、校長の指揮命令に基づき業務に従事したと認められるから、労基法上の労働時間に該当すると認定し、 個々の業務に要する時間を認定した。その一方で、一審判決は、控訴人が主張した業務の一部については、労働時間該当性を否定し、あるいは所要時間を控訴人の主張よりも縮小して認定した。 このように、一審判決が、控訴人の個々の業務の労働時間該当性及びその所 要時間について判断を示した以上、被控訴人(県教委)は、かかる一審判決の労働時間認定について、自らの見解を明らかにすべきである。

・例えば、一審判決は、授業の準備に要する労働時間として「1コマ5分」を 認定したが、「1コマ5分」という時間について、被控訴人(県教委)は、教員がその職務 を全うするために必要十分な時間であるという主張ないし考えか。また、一審判決は、ドリルやプリントの採点に要する時間は労働時間には該当しないと判 示したが、これらの採点業務は教員がやらなくてもよい「自主的な仕事」であ るという主張ないし考えか。被控訴人の見解を示していただきたい。

◆県側の主な主張

・給特法は超勤4項目以外の業務について、時間外勤務命令を行うことができないと規定しているのであり、時間外勤務命令に基づかない勤務についてまで制限を課しているものではない。

・勤務時間外における教員の勤務は、校長による時間外勤務命令に基づく勤務を除き、自発的な勤務であり、労働基準法上の労働時間には該当せず、校長に管理義務はない。

・教職調整額(基本給の4%)を算出するに当たっては、超勤4項目以外の業務も含め、正規の勤務時間外に業務に従事した時間を基礎としており、給特法は正規の勤務時間外に、超勤4項目以外の業務に教員が従事することを想定しているのである。なお、そのような勤務に対しては教職調整額が支給されているのであり、無賃ではない。

・1審判決では、控訴人が正規の勤務時間外に従事した業務の一部について、労基法上の労働時間と認定しているが、誤りである。原判決では、校長の指揮命令に基づく業務は全て労働時間と認定しているが、仮に校長の指揮命令に基づく業務であったとしても、その業務にどの程度の時間を費やすかについては、個人の裁量に委ねられている部分が 大きく、業務の遂行方法についても校長から詳細に指定することは少なく、各教員に任されている。

・1審判決は、職務の特殊性や勤務態様の特殊性があることから、教員の業務が自主的・自律的な判断に基づく業務なのか校長の指揮命令に基づく 業務なのかを峻別することはできないと判示しながら、一方で便宜的に両 者を区分した上で、指揮命令に基づく業務に従事した時間を積み上げ、所定総労働時間と比較した上で、所定総労働時間を超過した部分について、労働時間と認定している。そもそも給特法は1審判決で判示されたように、職務の特殊性や勤務態様の特殊性から教員の勤務が時間的な管理になじまないことを前提に制定されたものであり、勤務時間数による比較を行うこと自体が法の趣旨に合致しない。

・仮に1審判決のように、教員の業務内容毎に労働時間を算出でき、所定労働時間を超えた時間を労働時間と認定するならば、教員の業務が時間的計測になじまないことを前提として制定された給特法の存在意義は実質的に無きに等しいものとなってしまうのであり、一審判決の判示は不当である。

★まとめ

今回、双方の主張は、地裁判決を受けたものとなりました。原告先生側は控訴した理由=地裁判決への反論が中心となりました。教委側への求釈明(質問)もありました。

一方、教委側も地裁判決で認められた一部の時間外労働について、異を唱えています。

次回、第2回は5月19日です。

以上、【高裁】第1回埼玉教員超勤裁判の原告先生と県の主張の要旨でした。