私、前回の記事で約4年ぶりに学校現場に復帰したことを書きましたが、復帰した学校の自治体では働き方改革を進めるためのキーワードとして「業務改善」という言葉が頻繁に用いられていました。
このワードが用いられているのが私が勤務した自治体だけなのか、全国的なものなのかは分かりませんが、例えばそのニュアンスは、「業務改善」により働き方改革を進めましょう、というものでした。
◆「業務改善」という言葉に対する違和感
しかし、私はその言葉に大きな違和感を覚えました。
なぜなら、「業務改善」という言葉には、教員たちの仕事の進め方に「改善」の余地があるから、もっと効率的な仕事の進め方に「改善」させましょう、というニュアンスが前面に出ているからです。
確かに、仕事の効率化について改善の余地はあるでしょう。
まったくないとはいいません。
しかし、学校教員の仕事はそれだけで本当に勤務時間に収まる業務量になるのでしょうか。
絶対にならないと私は思います。
そんな”やわな”量ではないからです。
◆本来のキーワードは「業務削減」ではないのか?
本来の働き方改革で必要な作業は、業務を「改善」することではなく、業務を「削減」することのはずです。
「削減」することでしか働き方改革は成し遂げられないはずです。
ですから、本来のキーワードは「業務削減」であるはずなのです。
そんなの言葉狩りでしかないではないか、と言われるかもしれませんが、私はその言葉の細部に本質が現れていると思うのです。
私は教育委員会が「改善」などという言葉で誤魔化すのは理由があると思っています。
それは彼らは決して本気で業務量を「削減」する気などないからです(今、一時的に削減されている業務はそのほとんどがコロナ禍によるものです)。保護者をはじめとするステークホルダーと折衝していく気がないのです。
◆改善⇒教員の責任 削減⇒教委の責任
また、「改善」という言葉であれば、その責任は改善しない教員になりますが、「削減」という言葉にすれば自らの責任になってしまいます。
私に言わせれば、これは”巧妙な言葉遣い”としか言いようがありません。
結局のところ、学校での働き方改革が進まないのは「改善」しない教員が自主的に残業をしているのが悪いのであって、我々(教委)は推し進めようとしている、とでも言いたいのでしょう。
全体の業務量を削減しないで、どのように「改善」していくというのでしょうか。
学校の働き方改革は文科省・教委のこういった誤魔化しを一層し、彼らの基本的な考え方を”改善”させることから始めた方が良いのかもしれません…。