「補教」というシステムは、教育に人件費をかけない、貧しさそのもの

5年ぶりに臨時的任用講師(非正規)として、学校現場に戻ってみて、一度距離を置いたからか、これまでは疑問に感じたことさえなかったことにふと気づくということが多々ありました。

その一つが、「補教」です。

今日は、「補教」について書きたいと思います。

◆補教とは

一般的には耳慣れない言葉だと思いますが、職員室のなかで使われる用語です。

「補教」とは、担任あるいは授業者が欠勤や出張等の不在によって、授業を空ける際に代わりの教員を代理として立てることをいいます。

代理として立てられる教員は、いわゆる空き時間と言われる、自らの学級に音楽専科の授業が入っていたりして担当する授業のない教員です。

捕教では、ほとんどのケースにおいて、自習となります。担任あるいは本来の授業者が課題を用意しておき、代理(補教)で入った教員が監督する、といった感じです。

授業を進めるということは、基本的にはありません。

補教っておかしい?

この補教、教科担任制の中高であれば、1つのクラスに空きが集中することはないと思いますが、小学校だと担任が不在だとその学級の子どもは、下手をすると1日6時間補教(自習)なんていうこともあり得ます。

以前は何とも思いませんでしたが、5年ぶりに学校現場に戻り、これは随分おかしなことだなと思いました。大きく2点おかしいと思いました。

  1. 学習塾で「先生は不在ですから自習していてください」なんてなったら、月謝を返せというレベルの話です。もちろん、学校は勉強だけを行うところではありません。休み時間の遊びだって学びはあります。しかし、そうはいっても学校に行く最大の目的は勉強です。何時間も自習が続くと、子どもたちも飽きてしまい、かわいそうです。
  2. また、喧嘩の仲裁だとかいじめ対応などで授業が中断があったりすると保護者からクレームが入ることも少なくないのに、担任の出張であれば1日自習でもクレームは来ません。「ウチのクラス、先生の出張多すぎて、補教多すぎる!」なんていうクレーム、少なくとも私は聞いたことがありません。

◆ワンオペだから「補教」が必要になる

そもそも、なぜこのようなことが起きるのか。

すべては小学校の担任制がワンオペだからです。

例えば学年に一人副担任の先生がいたら、こうはならないはずです。その学年についている先生なら、授業を進めることだって可能なはずです。

補教というシステムは、教育に人件費をかけない、貧しさそのものです。