5年ぶりに臨時的任用講師(非正規)として、学校現場に戻ってみて、一度距離を置いたからか、これまでは疑問に感じたことさえなかったことにふと気づくということが多々ありました。
その一つが、職員室でよく使われる、「お手すき」の先生という表現です。
今日はこのことについて書きたいと思います。
◆「お手すき」の先生とは…
行事や保護者会などの際に数百台のパイプ椅子を出し入れしたり、行事で使用する道具等を運んだりすることがあります。
その際、重すぎて(あるいは多すぎて)その仕事の担当者だけでは手に負えないことがあります。
そういったヘルプが必要なときに、職員室全体に向けてによく使われるがこの表現です。
「お手すきの先生、お願いします」
このような文言で放送をかけて、全職員に依頼するのです。
◆教材研究や授業の準備程度の仕事なら…
この表現ですが、実は阿吽の呼吸でもう少し深い意味があります。こうです。
「今、人手が足りなくて困っています、助けてください、他に重要な仕事がある先生や保護者対応をしている先生は来ていただかなくて結構です、でも教材研究や授業の準備(等の学級の仕事)程度の仕事ならそちらを優先せず、こちらを手伝ってください」
つまり、他に仕事がない人は手伝いに来てください、という意味なのですが、その仕事には、教材研究や授業の準備(等の学級の仕事)などは含まれません。
実際、会議や保護者対応等で手伝いに行かなくても白い目では見られませんが、授業の準備で手伝いに行かないとなると白い目で見られることになります。
誤解をしてほしくないのですが、ここで私が言いたいことは「お手すきの先生」と言って手伝いを依頼するなということではありません。それはお互い様であるし、職場で協力して仕事にあたるのは当然です。
では何が言いたいのかというと、ここに教員たちの価値観、つまり“どの仕事を優先して行うべきか”という意識が見え隠れしているということです。
多くの教員たちにとっては、教材研究や授業の準備は「お手すき」に入り、重要な仕事とはみなされていないのです。
はっきりと言ってしまえば、教材研究・授業の準備は軽視されてしまっているといえます。
そのことについては、2018年に出版された拙著でもこのように説明しています。
クラスの保護者や子どもからすれば、担任にはクラスの仕事を第一に考えてほしいと思うのは当然だと思うのですが、実際は異なります。実際は、
学校全体にかかわる仕事>学年にかかわる仕事>学級にかかわる仕事
なのです。(中略)より迷惑を被る人数が多い仕事が優先して行われるべきという価値観が職員室にはあります。
日本の学校は授業を大切にしない
現状、このような価値観のなかで、多くの教員が時間が足りず、準備なしに”ぶっつけ本番”で授業をせざるを得ないのが実情です。
しかし、これは各々の教員の責任ではありません。授業以外の仕事を優先してきたのは、他ならぬ学校長や教育委員会です。教員たちは彼らの価値観に従って働いているに過ぎません。
私は5年ぶりに現場に戻り、この国の教員にとっては、授業の準備・教材研究が重要な仕事とみなされていないことに改めて、愕然としました。
私に言わせれば、授業の準備をしないということは、仕込みをしないラーメン屋と同じです。どのようにしてスープを客に提供するのでしょうか。
今、日本の学校は授業を大切にしていません。