学校が”置き勉”させたくない理由、脱”置き勉禁止”で新たに危惧する事態

昨日、児童の通学時の持ち物軽減のために、いわゆる”置き勉禁止”をやめるよう、文科省が全国の教育委員会に通知する、という報道がされました。

教科書や教材を入れた子供のランドセルが重いとの意見が出ていることなどを踏まえ、文部科学省は3日、通学時の持ち物負担の軽減に向け、適切に工夫するよう全国の教育委員会に求める方針を決めた。近く通知を出す。

【出典:「重いランドセル」解消へ工夫を 文科省が通知へ (日本経済新聞2018年9月3日)】

この記事では小学校担任の経験から私が、

  • そもそもなぜ学校は”置き勉禁止”にしてきたのか
  • “置き勉あり”で新たに危惧されること

についてまとめていきたいと思います。

◆そもそもなぜ学校は”置き勉禁止”にしてきたのか

そもそもなぜ学校は”置き勉禁止”にしてきたのか(置き勉させたくないのか)、私は大きく2つの理由があると考えます。

①学校は予習復習を家庭で毎日することを求めているから

1つ目の理由は、子どもは家で教科書を使って予習復習しろよー、という昔から続く(よく分からない)学校の考え方です。

教育評論家の石川幸夫氏は、教育現場において、家庭でも教科書を使用して宿題以外にも毎日予習復習することを児童に求めるという考え方が昔からあったといいます。

――なぜ多くの学校では“置き勉”を禁止にしてきたのか?

教育現場において、授業の予習復習を家庭で毎日することを児童生徒に求めており、そして家庭で勉強をするには教科書がないとできないという考え方が昔からありました。宿題がなくても家庭で学習する姿勢が大切だという認識が続き、勉強道具を全て持ち帰るように指導していたのでしょう。

【出典:“重すぎランドセル”問題で文科省が通知へ…そもそも何で「置き勉」はダメだった?(FNN.jp編集部2018年9月3日)】

私も学校現場で働いていた経験から、この考え方が職員室に根付いていることに同意します。しかし実際ほとんどの子どもは、宿題で使用する教材(例えば、漢字ドリルやノートなど)だけしか家では使わないという児童が圧倒的に多いのではないかというのが(データはないものの)私の肌感覚でした。つまり、この考え方は実態に即していないものだと私は思うのです。職員室でよくある、昔からの慣習・考え方がなかなか変わらない、という悪い文化の一例なのではないかとも思います。

②紛失リスクを抑えるため

もう1つの理由は、紛失リスクを抑えたいー、という考え方です。

児童の物がなくなると、それが単純になくしたものなのか、それとも誰かに盗まれた(隠された)ものなのか分からないので、子どもにとっても教員にとっても色々と大変になります。

であるならばということで、紛失リスクを抑えるために”置き勉禁止”をしている、というのがもう1つの理由です。

しかし、多くの学校では教室に鍵をかけていません。現状でも教室には、教科書・ノート以外にも体育着や道具箱(のり・はさみなどが入った箱)絵の具セットなどが置いてあるのだから、この理由についても私はナンセンスであると考えます。

◆脱”置き勉禁止”で危惧すること

脱”置き勉禁止”の方向は良い流れだと思います。しかし新しいことを始めたり、変更がなされたりすると新たな問題も生まれてくる可能性があります。私が危惧する点を2つ挙げたいと思います。(以下レベルが低い話ではあるのですが、現状現行現場は非常にレベルが低いので敢えて書きます)

①紛失リスク

今、多くの学校では理科室・家庭科室などの特別教室を除けば、教室に鍵をかけていません。しかし、”置き勉あり”になるとそれだけ多くの教科書・教材が教室に残されることになります。

鍵をかけなければ、前述の紛失リスクが高いままです。

理想的には鍵付きの机やロッカーをかけるべきですが、予算的に厳しいでしょう。現実的な対処としては教室に鍵をかけるべきです。

②一律ルール化

日本の学校は文科省からこのような通知がなされると学校現場ではと何でもかんでもルールを定めて一律に子どもに強制することが多々あります。例えば、今回の件でいえば、「置き勉しても良い物」「置き勉してはいけない物」「今日はこれを持ち帰ってOK」などと一律にルール化しそうな悪い予感が私にはあります。

一律にルール化すれば教員にとって管理しやすいかもしれませんが、各々の子どもにそれぞれの事情があります。大体、子どもとはいえ自分のものくらい自分で管理する権利があるのではないしょうか。

ですから、何を”置き勉”するかは子ども自身にそれぞれ考えさせるべきで、それを考えさせること自体も教育になると私は考えます。

学校関係者の方、一律ルール化はやめましょうね。

◆最後に

フリージャーナリストの前屋毅氏は、文科省の指示がないと現場レベルで動けない学校現場を批判しています。

文科省や教育委員会の指示がなければ何もできない、やらない、という学校の体質が、ここにも垣間見ることができる。いちばん子どもたちと身近に接している学校が、子どもたちの身になって考え、実践しようとしていない。

【出典:ランドセル、こんなことまで文科省の指示がないと動けないのか(yahooニュース2018年9月3日)】

これはもう、本当に激しく同意します。

本当に教育委員会や学校(校長)は世の中の変化に鈍感であり、自らの変化を嫌うし、子どものためより保身、という人間が多すぎます。

組体操のタワー禁止や今回の件を見ていると、やはり彼らには自浄作用はないので、メディアの報道や保護者のSNSなどの”外圧”で変えていくしかないのだと思います。

皆さん、納得のいかないことはどんどん声を挙げていきましょう。

以上、元公立小学校教員トウワマコトによる、「学校が”置き勉”させたくない理由、脱”置き勉禁止”で新たに危惧する事態」でした!

関連記事:元小学校教員が挙げる、2分の1成人式を即刻やめるべき5つの理由

コメント

  1. 張善美 より:

    初めまして。
    私は外国人で日本で子育てをしています。
    来年子供が小学校に行くので記事を真剣に読ませていただきました。

    予習復習の事も考えるとやはり教科書はある程度持って帰らないと、と思いました。
    しかし、私は教科書より、そもそも何故あんなに重たいランドセルを日本は持たせるのか疑問です。
    ランドセルは軽くて1200g 弱ですが、普通のバックパックだと持って軽くて丈夫な物は溢れてると思います。
    普通のバックパックも一応許可してるとは聞きましたが、皆んながランドセルを持ってる雰囲気で普通のバックを持たせるのは無理があります。
    又その値段が、丈夫とは言え小さい子供のバックの値段とは違和感があります。
    個人的に置き勉を言う以前にランドセルの事は検討なさらないか、それが疑問です。