内藤朝雄氏が「いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか」で提案した長短2つの教育政策について考える

1.いじめを防ぐための短期的な二つの政策

内藤氏は、いじめを防ぐための短期的な政策として、

  1. 学校の法化
  2. 学級制度の廃止

の2つを挙げています。

内藤氏はこれらの施策について、「学校制度の大枠を変えることなく比較的容易に実行可能である」と述べています。

まず、1.学校の法化について。内藤氏は、暴力系のいじめに対して、学校を治外法権とせず、法律・公権力を介入させるべきといいます。

加害者が生徒である場合も教員である場合も等しく、暴力系のいじめに対しては学校内治外法権(聖域としての無法特権)を廃し、通常の市民社会と同じ基準で、法にゆだねる。そのうえで、加害者のメンバーシップを停止する。(出典:第6章 あらたな教育制度 以下同)

暴力が行われたと判明した場合、子どもであれど大人と同じ対応を行う、そして出席停止・退学という処罰を下す、ということですね。

そして、このように學校を法化するその理由について、

加害者が生徒であれ教員であれ、暴力に対しては警察を呼ぶのがあたりまえの場所であれば、「これ以上やると警察だ」の一言で、暴力による暴力のいじめは確実に止まる。学校や職場で、自分が大きな損失をこうむって特定の人をいじめ続けるといったことはほとんどなく、いじめは基本的に「やっても大丈夫」「やったほうがむしろ得だ」という利害構造に支えられて蔓延し、エスカレートしているからである。

とし、次にような教育効果もあるとしています。

仲間うちの勢力関係をとびこえて法によって加害者が処罰されるのを目撃する体験は、中間集団は強い者が弱い者を圧倒する力によって治められるという秩序学習をさせず、普遍的な正義が法によって守られていることを学習させる市民教育として効果がある。

個人的には、小学校低学年の子どもに適用するのは厳しいものがあると思いますが、中学生以上に適用していくのは良いのではないかと思います。

次に、2.学級制度の廃止について。内藤氏は、法律や警察が介入できないコミュニケーション操作系のいじめ(「しかと」「くすくす笑い」など)に対して学級制度を廃止して対処すべきと説きます。

コミュニケーション操作系のいじめに対しては学級制度を廃止する。(中略)コミュニケーション操作系のいじめは、親密な人間関係を選択する交際圏を極小化する、小ユニットへの強制帰属の効果によって成立している。(中略)学級や学校への囲い込みを廃止し、出会いに関する広い選択肢と十分なアクセス可能性を有する生活圏で、若い人たちが自由に交友関係を試行錯誤できるのであれば、「しかと」で他人を苦しませるということ自体が存在できなくなる。

内藤氏は、「このような(学級制度のない)自由な社会では、嫌悪を感じる者とのあいだに距離をとることができる権利が保障される」と言います。

個人的には、小学校、とりわけ低・中学年では学級制度のメリットもあるので微妙なところですが、これについても中学校以上に関しては適用可能なのではないかと私は思います。

そして、内藤氏は、重要なのはこの2つの施策を「同時に」実施することだとします。

ただし、学級制度を廃止しても、暴力を放置すればギャングが跋扈することになる。暴力を厳格に司直の手に委ねる学校の法化と学級制度の廃止は、両方同時に行わなければならない。

2.教育制度を根本から改革する中長期的な政策

内藤氏は、現行の教育制度に対して、

「教育を受ける権利なのだから、なるべくたくさん提供してあげよう(強制してあげよう)」、という押し付けがましい論理によって、学校共同体に強制収容する義務教育が限りなく肥大化してしまった。

とし、それがいじめをはじめとした学校における諸問題の原因の一つとして述べています。

そして、現在の教育制度を一新する中長期的な改革案を次のように挙げています。

新しい義務教育は強制してでも身につけさせなければならない、生きていくために必要最低限の知識に関して保護者が子に国家試験をうけさせることを義務づけるものである。すなわち、新しい義務教育の「義務」は、次の二つに限定される。

①日本社会で生活していくのに必要最低限の知識を習得しているかどうかをチェックする国家試験を子どもに受けさせる保護者の義務
②国家試験に落ち続けた場合には、(後に述べる特殊紙幣)教育バウチャーを消化させる保護者の義務。

(a)生活の基盤を維持するのに飛鳥な日本語の読み書き
(b)お金を使って生活するのに必要な算数
(C)実を保つために必要な法律と公的機関の利用法

国は、この三つの内容についての国家試験を行う。義務教育には、教育バウチャーを用いる。これは、教育用途にだけ用いることができる特殊貨幣である。国や地方公共団体は、人々がさまざまな学習サポート団体や教材を利用するためにバウチャーを人々い配る。義務教育の内容に関して、どんな勉強のしかたをしようと当人の自由である。バウチャー制のもとで街にはさまざまな学習サポート団体が林立し、さまざまな教材が出回っている。各人はそれらを自由に選択して利用する。新しい教育政策による義務教育は、現行の義務教育に比して、大幅に規模を縮小したものになる。義務教育は、いくらきれいごとで飾り立てようと、うむを言わさぬ強制であり、そのような強制は必要悪であるから、最小限にとどめなければならない。

また、義務教育が縮小したものになるので、教育の機会均等を図るために、

教育用の特殊紙幣を、収入の多い人には少なく、収入の少ない人には多く配分すれば、教育に関する機会の平等を確保することになる。

とし、市場原理によって、子どもが個のレベルに応じた学習を行うことができるともしています。

学習サポート市場での技能競争によって、試験に何回も落ち続ける人のための効果的な教授技術や教材が開発される。(中略)また、習得能力の高い人にとっては、何年も無意味に学校のいすに座り続ける拷問から解放されることを意味する。

私はこれを最初に読んだ時、驚きました。目から鱗が落ちました。なるほど、これは上手く機能すれば素晴らしい制度だなと思いました。と同時に、日本人は良くも悪くも極端な変化を嫌う傾向があるので、実現可能性は低いだろうなとも感じましたが。

★まとめ

いじめをはじめ学校において何か問題が起きると、どうしても個々のケースの問題点を挙げていく傾向がありますが、それだけでなく(それよりも)、今の学校教育は、構造的・制度的な問題も多分にあるということをこの本を読んで改めて感じました。

内藤氏が提案するこの2つの提案、実現したら良いのではないかと私は思った(私には大きな問題点は思いつかなった)のですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

以上、トウワマコトによる、「内藤朝雄氏が「いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか」で提案した長短2つの教育政策について考える」でした!