学校の全決定権を有する校長に授業担当を義務づけるべきだ

2001年の学校教育法改正で、それまで教員同士の話し合いや多数決で決めていた職員会議が校長の諮問機関になり、校長一人に決定権が集中することになった。

その全決定権をもつ校長だが、教頭(副校長)時代から通算して10年以上、授業を担当していない者も少なくない。10年も経てば子どもをめぐる外部環境も変われば、価値観だって変化している。にもかかわらず、多くの校長は授業を担当しない。(ひどいのになると一日中校長室で事務作業していて、教室を見ることさえない。)日本では校長に必ず授業を行わなければならないという義務は課されていないからだ。

学校の全決定権を保持している校長が、このように一切授業を担当していなくて良いのだろうか。

◆法律で義務づけられている国も

日本では、教頭や校長は担当授業をもたないことが一般的であるが、例えばリヒテルズ直子氏によると、オランダでは「教育現場の実情に疎くなってしまわないため」に授業を担当することが法律によって義務づけられているという。

法律では、「校長は教授活動から解放されない」という条項があり、生徒とのコンタクトを失い教育現場の実情に疎くなってしまわないために、校長先生には週に一度ずつでも実際に授業を担当することが義務づけられています。

(出典:『オランダの教育―多様性が一人ひとりの子供を育てる』

週に一度でも授業を担当するのと、まったく担当しないのと、その差は大きいと思う。週に一時間でも授業を担当すれば、継続的に同じ児童・生徒を見ていくことになり、そこから子どもたちや学校の課題が分かることもあるだろう。

◆日本でも校長にも授業担当を義務づけるべき

校長を「教育現場の実情に疎くなってしまわないため」にすることは大切だ。そうしないと、多くの校長は上(教育委員会)の意向ばかりうかがって、児童・生徒の視点を失い行政的な視点ばかりが膨張していく傾向があるからだ。

行政的な視点ばかりが膨張していくと、いかにつつがなく当初の計画を遂行していくかが最重要課題になり、児童・生徒を管理的に扱うことを考え始める。「ブラック校則」や「スタンダード」などはその表れではないだろうか。

また、自分が授業を行わないから授業準備の重要性、教員へのその時間の確保を忘れている校長も少なくない。

以上のような理由から、私は学校の全決定権を有する校長に授業担当を義務づけるべきだと考える。

しかし、日本では世論の後押しがない限り、実現しないだろう。

また、法的な義務づけでなく、各教育委員会の取り組みとしても実施はされる可能性は低い。なぜなら仕事が増える校長たちから猛反発が予想されうるからで、今後も上意下達をスムーズに行いたい教育委員会も校長とは良好な関係を維持したいはずだからだ。
(教育委員会は一教員には厳しいが、校長には優しいのである)

が、私は、全決定権を要する校長には、週一時間でも良いので、授業を担当する義務を課すべきだと思う。

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