【高裁】第2回埼玉教員超勤裁判の原告先生の主張の要旨をまとめた【毛塚意見書】

5月19日、東京高裁で埼玉教員超勤訴訟の第2回目が行われました。私はこの裁判、今後の日本の公立学校教員の働き方を左右する裁判だと感じ、継続的に注目しています。

先日、裁判資料(埼玉教員超勤訴訟・田中まさおのサイト)で書面が公開されましたので、今回も全文読む余裕がない方に向けて重要と思われる部分を抜粋して、整理しました。

なお、今回県側からの答弁はありませんでした。

◆今回の原告先生の主な主張

新たな主張の概要

下記が、今回の原告先生の主張の概要です。このなかで新しい主張は、「生活時間の侵害」という考え方です。

校長が原告の労働時間を適正に把握し管理する義務を怠り、超勤4項目に該当しない業務についての時間外勤務を放置したことで、条例の定める正規の勤務時間のみならず、労基法32条の定める強行的限度時間たる法定労働時間をも遵守していない。これらは、重大な法令違反であり、かつ、原告の生活時間という重要な法益を侵害するものである。その違法性は 極めて強く、国賠法上の違法を免れない。

『控訴審準備書面1』より抜粋

毛塚勝利先生による『意見書』

また、今回、原告先生側からは準備書面の他に、労働法の専門家である毛塚勝利先生(wikipedia)による『意見書』が提出されました。

「教員の生活時間を侵食していること自体が、労働時間管理義務を怠り法定労働時間遵守義=生活時間配慮義務を怠っていることによる法益侵害なのであるから、国賠法上の違法性を認めて然るべきなのである」

「原告が被った損害としては、過重負担による肉体的精神負荷の増大にかかる損害のみならず、家庭人や市民として健全な家庭生活や社会生活を送る時間、また、教員として自己研鑽をはかる時間、つまり生活時間が侵害された精神的被害をも考慮することが求められる」

「労基法の法定労働時間の遵守は、健康配慮義務の観点以上に生活時間配慮義務の観点からより厳格に労働時間管理が求められると解しうる。1時間の限度時間超えはそのまま1時間の生活時間の侵食を意味するからである」

「労働法における労働時間規制の意味をもっぱら賃金確保や健康安全の確保の観点からのみ捉えてはならないこと、とりわけ生活時間の確保の観点から捉えることが肝要である」

『鑑定意見書』より抜粋

前回の県側の主張に対する原告先生側の反論

埼玉県教委(前回) 原告先生(今回)
時間外勤務命令に基づかずに正規の勤務時間外に業務に従事することは禁止されていない。(控訴答弁書3頁、4頁) 給特法は、公立学校教員にも労基法32条、34条、35条、36条の労働時間規制が適用されることを前提として、教員に時間外労働をさせることができる場合を限定的に認めた法律である。

したがって、給特法及び関連法令に定められた限定事由(超勤4項目の業務)に該当しない時間外労働が存在すれば、労基法違反となり、かつ、この時間外労働の有無は、労基法上の労働時間概念に基づいて判断されることとなる。そして、判例・学説によって確立した労基法上の労働時間該当性の判断基準によれば、労働時間に当たるか否かは、使用者の認識・関与(黙認や許容の有無)、従事した業務の職務性等により客観的に判断される。

給特法は、教員の勤務時間が一般行政職員と同様な時間的管理 を行うことが適当ではなく、勤務時間の管理について運用上適切な配慮を加えるために制定されたものであり、教員の労働時間については、労働時間の定量 的な管理になじまない。(控訴答弁書4頁、5頁等)

給特法が適用される公立学校教員についても、労基法32条や条例 に基づく厳格な労働時間管理が求められる。そもそも、給特法制定以前の事案において、裁判所は、教員の時間外勤務は 計測可能であり、違法な時間外勤務に対しては労基法に基づき割増賃金が支払 われるべきことを認めていた。給特法は、このような裁判例の流れを受けて制定された法律であるが、その 趣旨は、労基法32条・36条を適用除外とせずに37条だけを適用除外としたことからも明らかなように、あくまでも、給特法が認めた限定事由(超勤4項目)に基づく時間外労働に対する割増賃金支払義務を免除したものである。

したがって、使用者は、この割増賃金の算定にかかる労働時間を把握すること を要しないというだけにとどまり、所定労働時間を遵守するためにも、法定労働時間を遵守するためにも、労働時間を把握し管理する義務があることには何ら変わりがない。むしろ、給特法の下では、使用者は、勤務時間の割振りを行うことによって時間外労働の発生を回避する義務を負っているのであるから、その前提として、労働時間の管理が不可欠に求められるのである。そうでなければ、教員の労働時間が無定量になることを防止するという給特法の趣旨が全く没却されることとなる。

教員についても一般労働者と同様の勤務時間管理 を行えるのであれば、そもそも給特法自体無意味なものになってしまう(控訴答弁書14頁、15頁) 近年の教員の働き方改革をめぐる議論においても、客観的な方法 による厳格な労働時間の把握・管理の重要性が特に強調されている。このように、給特法が適用されることは、公立学校教員に対する労働時間管理の必要性を否定する理由とはならない。

なお、平成16年の国立大学法人化以前は給特法の適用対象とされていた国立学校教員や、公立学校教員と同様の業務に従事する私立学校教員については、 労基法に基づいて、厳格に労働時間が管理され、時間外労働時間数に応じた割増賃金が支払われることとなっており、これを怠った法人に対しては、労働基 準監督署による是正勧告や指導が行われている(甲106)。このことは、教員の勤務についても定量的な時間管理が可能であり、かかる時間管理を怠った場合には労基法違反を問われることを端的に示している。

正規の勤務時間外に行った超勤4項目以外の業務については、 労基法上の労働時間には含まれず、労基法で求められている管理すべき労働時間には該当しないから、校長に管理義務はない(控訴答弁書 5頁、6頁等) 労基法上の労働時間に該当するか否かは、使用者の認識・関与や業務の性質により客観的に判断されるべきものであり、校長による時間外勤務命令に基づかない勤務であっても、教員の本来的業務ないしこれに密接に関連する業務に従事し、あるいは校長において業務に従事するこ とにつき認識・容認していた以上、労基法上の労働時間に該当する。したがって、校長は、その労働時間が正規の勤務時間や法定労働時間を超えることのな いよう、厳格に労働時間を管理すべき義務を有している。

控訴人は、必ずしも校長からの個別具体的な職務命令や時間外勤務命令に基づいて業務に従事していたわけではなかった。そもそも、教員は、数えきれな いほど多岐にわたる業務をその都度臨機応変に処理しているのであって、いち いち校長が個々の教員に対して個別具体的な業務について明示的に命令を下す ことは想定されていない(職員会議を通じて教員に数多くの業務が割り当てら れていたことについては、一審で詳述した通り。)。教員に限らず、今日のホワ イトカラー労働者の職務は、いちいち上司の指示を待って業務を遂行するものではなく、その業務遂行に適切と思われることを自ら判断して行うものである。

しかし、実際には、控訴人は、明らかに勤務時間内に終わらない質・量の業務をやらざるを得ない状況に置かれていたため、やむを得ず、正規の勤務時間 を大幅に超過する時間外労働を余儀なくされていた。既に主張した通り、本訴 訟において控訴人が挙げた業務は、いずれも控訴人が校長から明示または黙示に命じられて行ったことが証拠上明らかな業務である。したがって、控訴人が 勤務時間外に業務に従事した時間は、いずれも労基法上の労働時間に該当する。

給特条例7条1項では、時間外勤務を命じる場合は勤務時間の 割振り変更を行うよう求めているのであり、時間外勤務命令に基づかない時間外勤務についてまで割振り変更を行う義務はない(控訴答弁書5頁、 12頁、13頁、17頁)。 時間外勤務命令に基づくものであるか否かにかかわらず、労基法上の労働時間該当性が認められる限り、給特法の限定事由に該当しない業務について、正規の勤務時間を超える時間外労働をさせることは許されないのであるから、かかる時間外労働を生じさせないために、使用者にお いて、勤務時間の割振り変更(時間調整)を行う義務があるというべきである 。
給特法は、教員が正規の勤務時間外に超勤4項目以外の業務に従事することを想定している。正規の勤務時間外における超勤4項目以外の業務 に従事する場合も含め包括的に評価した結果として教職調整額を支給している。控訴人が正規の勤務時間外に行った超勤4項目以外の業務についても 対価(賃金)が支給されている(控訴答弁書19~21頁)。 教職調整額の支給は、あくまでも、給特法によって超勤4項目等に該当する臨時的業務についての時間外労働を許容したことに対応するものとみるべきである。

被控訴人(県教委)が労働とは認めていない業務に対して、公的な財源から対価(賃金)が支給されているという主張は、明らかに不合理というべきである。

この点について、毛塚意見書は、「一審判決のように、指揮命令の不在を理由に自主的業務の労働時間性を否定しつつ、時間外勤務の対価につい ては指揮命令に基づくものと基づかないものとを包括的に評価し定額の調整給を支給したと理解すること自体が論理的整合性を欠くものである」と指摘し ている。

★まとめ

今回原告側は、一審判決の敗訴の要因の一つに原告先生自身が健康的な被害を受けていないということがあったと分析し、そこでたとえ健康的な被害を受けていないとしても、”生活時間の侵害”を受けていると主張したようです。

本当、その通りだと思います。生活時間の侵害、私も教員をしているときには結構受けていたと思いますし、多くの教員が同様だと思います。

次回は、8月25日。高裁判決です。