#陰湿職員室文学 校長編

昔々あるところに、「人の良い」公立小学校の校長がいました。「人の良い」といえば聞こえは良いのですが、本当は只はっきりとNoが言えないだけでした。

その校長、定年退職まであと一年、夢は手厚い年金に支えられた退職後の悠々自適な生活です。

校長には「人の良さ」で断り切れずに昇進しただけなので、校長として成し遂げたいことなどは特にありません。

さて、この校長の自治体、今年度から新たな教育長が就任しました。この教育長、人の良い校長とは正反対の人で、やる気満々でギラギラしていました。

その教育長、就任して真っ先に取り掛かった事は「学力テストの成績向上」です。

前年度、他市と比較して成績が芳しくなく、有権者から批判の声が上がっていたのです。

また、なかなか目に見える数字に表れない教育の分野で、明確に数字が出る学力テストは市長への良いアピール材料となると考えたのです。

具体的には、事前対策です。市で一番成績が低かった校長の学校は目をつけられます。そして過去問をはじめ不得意分野の分析など念入りに事前対策をするよう指示を受けます。

4月の学級開きの時期にいきなり学力テストの事前対策なんて…と思った校長でしたが「人が良い」のでそんなことは言えません。

学校に持ち帰り、職員会議で話します。すると教員たちから「いつやるんですか?」「そんな時間はありませんよ」と言われます。

確かにそうなのです。脱ゆとり以降、小学校ではオーバーカリキュラム状態になっていて、これ以上新たなことを入れる余裕はなくなっていたのです。

「始業前の時間にやってください」
校長がそう言うと、職員室はザワつきます。なぜなら、始業前の朝読書は校長の数少ない肝いりの施策であり、学校運営計画の柱の一つであったからです。

「朝読書の替わりにやってください」
教員たちは不満そうでしたが、そのような経緯で、朝読書は学力テストの事前対策に変わることになりました。

校長の試練は続きます。PTA会長からの連絡です。
「週末の地域のイベントの準備や応援に教員を寄越してほしい」

言うまでもなく、土日は教員の週休日です。給特法という法律により、公立学校の教員には残業代を出すこともできません。出勤命令は出せないので、“お願い”するしかありません。

つまり、教員にボランティアのお願いをするのです。当然、教員たちからは良い顔はされません。

PTA会長には軽々しく人を寄越すなんて言わないでほしいと思いましたが、学校は地域に対し立場の低く、また校長は「人が良い」ので断れず、依頼を安請け合いをしてしまいます。

さて、そんな折、保護者からクレームの電話が入ります。

「ウチの子が不登校になった原因は担任にある」「子どもに聞いたら担任が居なければ登校できる」「ウチの子が登校する時は担任は休んでほしい」「担任と子ども、どちらが大切なのか」と言うのです。

約2週間、毎日のように、クレームを受け続けました。電話だけでなく校長室にまで乗り込まれることもありました。

はっきりとNoが言えない校長、困りました。このタイプの保護者には「人の良さ」など無力なのです。

とはいえ、いくら何でも過剰な要求です。そのような要求は呑めない旨を丁寧に誠心誠意説明をした校長ですが、保護者は「では、教育委員会に言います」と言います。

教育委員会の指導主事などは元同僚であり、彼らに迷惑をかけたくない、そしてあの教育長の顔が頭をよぎります。何しろ退職まであと一年、何とか穏便に終わらせたい…そう思ってしまいました。

「分かりました。1日だけそうしましょう」

言ってしまった、校長はそう思いました。しかし、後の祭りです。

保護者を見送った後、当該の担任を校長室に呼びました。担任は大学を出たての一年目の教員です。当然ですが、休むよう命令するわけにはいかないので、「申し訳ないが、明日、休暇をとってほしい」と“お願い”をしました。

意外にも担任はすんなりと受け入れてくれました。

翌日、担任不在のなか不登校の子どもが登校します。保護者は大満足です。

しかし、問題は担任です。翌日以降も欠勤が続いたのです。結局、適応障害ということで、病気休暇を取得することになります。

校長は自らのマズい保護者対応を反省する暇もなく、急いで替わりの教員を見つけなくてはなりません。当時、教員は劣悪な労働環境だという情報が行き渡っていて、教員不足が起きていました。なので、いくら待っても代替の教員が見つかりません。

結局、1カ月後、教頭が担任となり、校長が教頭の業務を半分引き受けることとなりました。

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時は流れ、3月です。

学力テストの結果が公表されました。校長の学校は一気に市の平均を上回る良い結果が出て、教育長は大喜びです。(数年後、事前対策が問題視されますが、この時点では知る由もありません。)

適応障害と診断された新人教員も4月から学校現場に復帰することが決まりました。

不登校の児童は教頭が担任になっても継続的に登校することはありませんでした。担任が原因ではなかったことが分かり、保護者は何も言ってこなくなりました。

PTA会長の“教員調達依頼”は相変わらずです。

人の良い校長、晴れて定年退職です。最後の職員会議で挨拶します。
「皆様のおかげで、無事、勤め上げることができました。ありがとうございました」

教員たちから花束を渡され、職員室は温かい拍手に包まれます。

と、その時です。後ろから声がしました。
「無事だったのは、校長先生だけです」

校長はギクッとしました。後ろには誰もいなかったからです。声の主は誰なのでしょうか。

不利益を被った教員でしょうか。あるいは自分自身でしょうか。それは分かりません。

ただ一つはっきりしていることは、本当の「人の良さ」というのは、人あたりの良さではないのです。たとえ他者に嫌われても、評価を落としても、守るべき信念をもてるかどうかなのです。この校長にはそれがありませんでした。しかし、悠々自適な隠居生活に入る校長にはもう関係のないことです。

学校はまた新たな年度が始まろうとしています。<完>

コメント

  1. ザコ1号 より:

    逆の意味で面白かったwww( ^ω^)