あの日のことを記録しておこうと思う

なぜか急にふと思い出し、書いておこうと思ったので、書きます。

10年前のことです。

当時は働き方改革などという言葉が出る以前であって、「教員に勤務時間などあってないようなもの」といわれるような時代でした。

また、教育委員会が学力テストの事前対策や分析を熱心に行っていることがまだ世の中に知られておらず、問題視もされていない時代でした。

私は20代若造の小学校教員でした。

◆朝の職員会議で・・・

そんなある日。

朝の朝会(5分のミニ職員会議)で校長から次のような話がありました。

突然で申し訳ないのですが、今日の学力テスト、自校採点するようにと教育委員会から指示がありました。皆さんご存じの通り、例年は業者が採点を行うのですが、その結果を待っていると時間がかかるので、先生方には今日中に採点していただければと思います。

急な話に職員室は騒然とします。この自治体は普段から無茶ぶりしてくる教育委員会ではありましたが、いくら何でも突然すぎたからです。

そして、締め切りです。なぜ今日中である必要があるのか。明日ではダメなのか。明後日ではダメなのか。

これは明らかに校長の教育委員会への“忖度”でした。さすがの教育委員会も即日の締め切りにしてくるはずはありません。教員に当日中に採点させて、分析結果をいち早く教育委員会へ提出することで、「教育委員会が望む学力テスト対策を積極的に取り組む校長」という評価が欲しかったのです。

そんなことのために休憩時間や勤務時間をないがしろにしようとする私はどうしても腹が立ったので、手を挙げました。

今日は6時間目(15:15)まで授業があります。完全下校は15:30、15:45から16:30までは休憩時間。つまり、採点ができるのは16:30から16:45(勤務終了時刻)の15分間だけです。15分間で、国語と算数の2教科、37人の採点は不可能です。どうすれば良いですか?

すると校長は黙りこくってしまいました。校長は、教員は休憩時間も勤務終了後も”自主的に”使って、採点をしてくれるだろうと考えていたのでしょう。

先生方にはお手数をおかけしますが、お願いしたいと考えています。しかし、急なので、どうしても難しい場合は、教頭に個別にご相談ください。こちらで採点を行います。

◆採点を放棄したのは私だけ・・・

校長にこのような回答を引き出した私は、休憩時間には採点はせず、放課後の勤務時間15分間だけ採点して、勤務終了時刻が来たら教頭に「ここまでやりました。後はお願いします」と回答用紙を手渡し、退勤しました。

翌日、他の担任陣も同じようにしているのか思いきや、私は驚きました。

他の担任陣は全員(17人)、自ら勤務終了後の時間を使って、採点をしていたのです。一人残らず、全員です。

(※今ならもう少しスマートなやり方で他の教員の協力を得られるようなやり方でやれるかもしれませんが、当時は何せ世間知らずの20代の若造でした)

数人くらいは私と同じように途中で放棄して教頭に任せる教員がいるのではないかと思っていたので驚きました。結局は、教員は奴隷なんだな、と。

校長に敵視されて、意に沿わない異動や人事を受けるのがそんなに怖いかと。“自分さえ””今さえ”良ければ良いんだな、と。

日頃、仕事を増やす校長や教育委員会に裏で文句や批判をしていても、実際は拒否できる場面でも加担するのだと失望しました。

あるいは、他の教員たちは教頭が可哀そうと思ったのかもしれません。

しかし、私は、だから無限に仕事を増やされていくのだと思いました。

この出来事の結果、校長にとって私は言うことの聞かない厄介者、教頭にとっては自分の仕事を自分でしないで仕事を増やす厄介者、という扱いになりました。

そして、周りの教員たちからは、変わり者で教頭を困らせる若造という扱いになりました。

私はこのときの出来事を決して忘れません。校長に失望したからではありません。他の教員たち全員が“今さえ””自分さえ”良ければ良いという決断をしたことに強い失望・怒り・孤独を感じたからです。

◆ざまあみろでしかない

この出来事から10年が経ちました。私はこのような労働環境に嫌気がさして、教員を退職しました。

文科省は教員の働き方改革の必要性を認め、学力テストの過度な事前対策についても問題視されるようになりました。(しかし、教育委員会や校長は責任を取ることはありません)

また、加速する教員不足が止まりません。

現場は人手不足で火の車と聞きます。

しかし、私からすれば、言葉は大変悪いのですが、

ざまあみろ

です。

ざまあみろでしかないのです。

10年前、校長は教員に時間外労働を強い、教員たちは逃れる方法があったのに“自分さえ””今さえ”良ければと、必要のない時間外労働をして、(私からすれば)ハシゴを外しました。

今、そしてこれから、あの10年前の“自分さえ””今さえ”代償を払っていけばいい、私はそう思っています。冷たいですが。