モンスターペアレンツのみならず、保護者の”お客様意識”が蔓延る現在の学校。
この”お客様意識”が最終的にも誰のためにもならないことを今回は取り上げます。
教育ジャーナリスト・おおたとしまさ氏が自著のなかでこのテーマについて掘り下げて書かれていたので、それをもとにして考えていきます。
◆”お客様”意識が強まる保護者
まず、”お客様”意識が強まる保護者が増えている、昨今の現状について改めて確認しておきたいと思います。
おおた氏は、”お客様”意識が強まる保護者の背景や思考について、2014年出版『オバタリアン教師から息子を守れ』のなかで次のように述べています。
保護者の側に「お客様」意識が強まったのは、先ほど述べたような「教育現場における社会的常識の欠如」への反動から、「教育の世界にもビジネスマインドを」という意識が強まり過ぎた結果ではないかと私は考えています。「あなたたちの給料は私たちの税金から支払われているのだから、しっかりうちの子の教師をしていただかないともとがとれません」というような考え方が広まってしまっているように思います。だからこそ、前述のように、「宿題をたくさん出してほしい」「補習をたくさんしてほしい」「夏休みなんて短くして、その分授業時間を増やしてほしい」と考えるのでしょう。
自分たちは教育というサービスを受けるお客さまであり、お客様は神様であるから、サービス提供者である教師は、子どもや保護者の無理難題にも誠意をもって応えるべきであるという風潮がはびこってしまっているのです。
『バカ親、バカ教師にもほどがある』(藤原和博・川端裕人)には、お客様意識丸出しの保護者の事例がいくつも挙げられています。マッサージ屋さんで担当をチェンジするように「あの担任ではダメだから、、担任を変えてくれ」と要求してみたり、ホテルに泊まっているかのように、「うちの子は朝、起きられないからモーニングコールをしてほしい」と要求してみたり、めちゃくちゃなことを言う保護者がいるというのです。そして思い通りにならないと、「教育委員会に言いつけるぞ」と。
適切な学校運営のために、改善を要求すること自体は、間違った行為ではありません。でもそれが、自己満足だけのための要求であれば話は別です。みんなが好き勝手なことを求めたら、収拾がつかなくなつのは誰だってわかるでしょう。しかし、今、学校の現場は、そういう状態に近くなっているのです。
このような現状を踏まえたうえで、保護者の”お客様意識”が間違っている理由を5つ挙げていきたいと思います。
1.子どもたちへの影響
まず、当然子どもたちへの影響です。親が学校(教師)に対し、”お客様”としてサービスを受けようとしているので、子どももその親の態度から見て学びます。
その象徴的な子どもの態度について、おおた氏は尾木ママの著書を引用して取り上げています。
親がそのような態度ですから、子どもたちも教師をなめるようになります。『教師格差』(尾木直樹)の中では、子どもたちが担任に向かって「殴ればクビになるんだから、殴れないだろう」と挑発することもあると書かれています。
私も小学校教員時代、悪さをして教員に叱られて納得できなかった児童が、「親に教育委員会に言ってもらう」と発言しているのを見たことがあります。
言うまでもなく、このような子どもたちの態度で保護者や社会が望む教育が実現されるわけがありません。
2.リソースを奪い合うことになるだけ
また、おおた氏は教育に予算を割かないこの国において、”お客様意識”の保護者が、得をしよう(損をしないようにしよう)とすると、それは単に「限られた資源を奪い合うことになるだけ」としています。
学校教育はサービス業ではありません。(中略)学校教育とは、社会という共同体の中で次世代を育てる自然の営みです。共同体の中で、自分だけが少しでも得をしようなどと考えたところで、共同体の中の限られたリソース(資源)をお互いに奪い合うことになるだけで、結局誰も得をしないのです。
これはそうですよね。少し考えれば分かるはずです。
例えば、「ウチの子をよく見てください」とか「〇〇くんとは同じクラスにしないでください」などという”お客様意識”の要求は、実現すれば一見その時は自分(の子ども)だけが得をしたように思えるかもしれませんが、多くの保護者がそのようなことをし始めたら、あらゆる場面でリソースの奪い合いになるだけです。
日本の学校は、先進諸国のなかでも教育に割かれる予算割合が低く、人的資源が少なく、また多忙により教員一人ひとりがもつ時間的資源も少ないのが現状ですから尚更です。
3.ビジネス的な観点で見ても間違っている
学校教育にもビジネス的な感覚を持ちこんでいるがゆえの保護者の”お客様意識”ですが、おおた氏はビジネス的な観点からも間違っているといいます。
ビジネス的な観点で見てもこれは言えます。「栗をくれ」と言って500円を支払って手に入れた栗をおいしく食べた後で、一つだけ虫に食われた栗を見つけて、それを持って「金を返せ」と言って、500円を返してもらおうなどという、せこいことばかりしていると、八百屋さんは栗の値段を上げなければいけなくなります。もしくは栗を取り扱わなくなってしまいます。最悪の場合、八百屋さんは倒産してしまいます。そんなことをして、結局損をするのは消費者なのです。
この例を具体的に学校にあてはめて考えてみると、例えば、
- 保護者「隣のクラスより宿題が少ない(損をしている)から増やせ」⇒
- 学校管理職「学年で内容を統一して宿題を出し(増やし)ましょう」⇒
- 教員「負担が増える!」「大変!」⇒
- このようなことが積み重なり、休職者・退職者が増え、志望者が減る⇒
- 結果、教員(教育)の質が落ち、子ども(保護者)が損をする・・・
こんな感じでしょうか。保護者が”消費者意識”でせこいことばかりしていると、関係者全員が損をすることになりかねません。
4.アンフェア
また、おおた氏は一教師が損得勘定抜きで子どもたちに接してくれているにも関わらず、保護者が”お客様”意識を振りかざすのはアンフェアではないかとも指摘します。
サービスを受ける消費者的な立場から考えれば、サービス提供者に落ち度があれば、それだけビジネスという対価交換行為において、有利に立つことができます。「同じ料金でもよそではもっとサービスしてくれた」と言えば、さらにいい条件を引き出すことができるかもしれません。500円で栗を買うような一般的な経済活動ではそれも正当な交渉です。(中略)でも教育の場で消費者の側がそれをし始めると、どうなるか。(中略)結局教師たちの負荷だけが増えるのです。(中略)教師たちが損得勘定抜きで子どもたちに接してくれているのに、保護者は「お客様」意識を振りかざすというのではアンフェアと言わざるを得ません。(中略)教師の負担が増し、モチベーションが下がれば、しわよせはすべて子どもたちにいきます。社会全体が、教師を媒介して、子どもたちにしわ寄せをもたらしているのです。
結局、しわ寄せがこどもたちがいき、誰も得をしない・・・。
5.利益を受けるのは社会全体
おおた氏は、教育の場合、サービスによって利益を受け取るのは実は子ども本人や保護者だけではないといいます。
子どもがいずれ大人になって活躍する社会全体が利益を得るのです。子どもたち一人ひとりがそれぞれの才能を伸ばし、社会に羽ばたいていくことで、社会全体がパワーアップし、豊かになっていくのです。そのために行われるのが、社会による教育、つまり学校教育です。
これも本当そうです。教育によって受ける利益は、社会全体のものでもあって、決して子ども自身や保護者だけではありません。だから、自分だけが得をしようとする”お客様意識”は、間違っているということです。
★まとめ
今回は、保護者の”お客様意識”が間違っている5つの理由について、まとめました。
- 子どもたちへの影響
- リソースを奪い合うことになるだけ
- ビジネス的な観点で見ても間違っている
- アンフェア
- 利益を受けるのは社会全体
おおた氏は、
教育とは、一見極めて私的に見えて、実はこの上なく公的な営みなのです。
と述べています。
保護者が教育を”私的なもの”としてだけ捉えたときに、”お客様意識”が顔を出してくるのではないかと私は考えます。ですから、社会全体あるいは保護者が、教育=公的な営みであるという認識をきちんともっていれば、学校に対し”お客様意識”を持ち出すことはなくなるのではないでしょうか。
“お客様意識”は結局、誰も得をしません。
以上、元公立小学校教員トウワマコトによる、「学校教育はサービス業ではない!保護者の”お客様意識”が間違っている5つの理由」でした!