また高層化する組体操。なぜやめられないのか。内田良『学校ハラスメント』を読む

組体操高層化問題の第一人者である名古屋大学大学院・内田良准教授によると、一時は減少傾向にあった組体操のタワー・ピラミッド、下げ止まりが生じ、また段数を上げる傾向があるといいます。

それを知った私の最初の印象は、「なんで? なんで? なんで?」

高層タワー・ピラミッドにより、骨折をはじめとする怪我をする児童・生徒がたくさん出ているのになぜ? ということです。

内田准教授も、最新刊『学校ハラスメント』のなかで次のように述べています。

今日の組み体操は、組み方の巨大化高層化さらには担い手の低年齢化によって特徴づけられる。運動会や体育祭では上級生が、運動会の華としてこの組み体操を披露する。その華々しさの裏側で、骨折をはじめとする多くの負傷事故が発生してきた。

巨大なピラミッドやタワーは、「危ない!」の一言に尽きる。

小学生でも分かる。危険なのだ。それなのになぜ下げ止まっている? それなのになぜ高層化傾向?

『学校ハラスメント』を読むと、その疑問がとけました。

大人たちの要望が巨大組み体操を存続させ続けているのです。

◆巨大組み体操を要望する保護者たち

内田准教授の取材によると、巨大組み体操を学校に期待する保護者たちの存在が浮かび上がります。

教師が巨大組み体操の実施を決断するその背景は、一部の保護者や地域住民からの圧力がかかっていることがある。世の大人たちによる圧力は、巨大組み体操からの脱却の可能性が高まったときに、顕在化する。組体操の高さを2段までに制限した小学校の校長は、子どもの保護者から罵声を浴びせられたという。

以前よりその保護者からは、巨大組み体操を存続させるよう強い要望があったようで、それがついに爆発したのだった。「子どもの想いを無視している」「それでも教育者か」と、非難の言葉がとんだ。

Twitterをのぞいてみると、「明日は弟の運動会、組み体操思い出すだけで泣きそうになる」「娘の組体見て、感動で涙止まらず。いつのまにか立派に成長したなぁ」「子どもたちの一生懸命な姿に感動でした。組み体操後の担任の男泣きには、こちらももらい泣き」といった感動の言葉であふれかえっている。

彼らは、学校の行事を娯楽か何かと勘違いしている層ですね。

とはいえ、全ての保護者がこのような考えではないだろうし、ひょっとしたら反対派の方が多いかもしれません。

しかし、どうしても表に出てしまうのは、こういう声です。

これは2分の1成人式と同じ構造です。

まっとうな親たちがどんどん声を上げていくしかないのではないかと思います。

◆地域のお偉いさんたちからも要望が

巨大組み体操に期待しているのは、保護者だけではないようです。地域の重鎮たちからの要望もあるといいます。

2015年、この問題を取り上げた初鹿明博衆議院議員の衆議院文部科学委員会での発言は、地域の空気感を如実に表しています。

なかなかやめられない事情もあるんです。なぜかというと、やはり親、PTAや、またPTA会長のOBとか地域の町会長とかが、これはすばらしいねといって称賛をします。私の地元の中学校もそうなんですよ。新しい校長先生が来ると、入学式のときに大体顔を合わせますけれども、地域のPTAの会長さんたちが何と言うかといったら、5段タワーだけは続けてくださいねと言うわけですよ。(2015年12月1日、衆議院文部科学委員会議事録 初鹿明博衆議院議員)

子どもたちや学校を自分の娯楽の道具にするなと言いたいですね。敢えて強い言葉でいえば、彼らはもはや老害ですね。

私には、老害の娯楽のために子どもたちが怪我をしたり痛い思いをしなければならない理由が分かりません。

学校長には教育者としての判断を期待したいところですが、残念ながら下げ止まりのデータからは地域に迎合する校長が多いことが分かります。

◆子どものため? 教育的効果? 積極的な教員たちも

内田准教授は、保護者や地域だけに限らず、本当は子どもを守らなければならない立場の教員も、加担しているといいます。

巨大組み体操を指導してきた先生たちも、「子どもたちが楽しみにしている」「巨大なものをやめようとしたら、『先生、俺たちもやりたいです』と生徒が懇願してきた」と主張する。

アンケートでも実施したのだろうか。(多分していない)反対の声はないのだろうか。

そういう疑問が生じる主張です。

また、内田准教授は、先生たちは「教育的効果」があるとして、積極的に巨大組み体操を行っていると指摘しています。

「組み体操あるある」の指導方法とは、つまり「『痛い』と言うな」である。巨大な組み体操は、相当な痛みや興味がともなう。その痛みを我慢してこそ、感動が得られ、最高の演技ができるという発想である。そして重要なことは、この痛みというのは必要悪というよりも、むしろ教育的に必要不可欠な要素であるとされる点だ。

しかし、組体操の専門家である日本体育大学・荒木達雄教授は、組体操は「痛いのは組み方が悪いということ。痛みを乗り越えることが組体操ではない」と次のように指摘しています。

専門家の見地からすると、そもそも「痛い」「苦しい」ということは、組み方が悪いということである。痛みを乗り越えることではなく、痛みを最小限にしていかに体に負荷をかけずに皆がバランスをとりながら身体を組み合わせていくか、これが組体操。

痛みを最小限にしていかに体に負荷をかけずに皆がバランスをとりながら身体を組み合わせていくか、これが組体操―――「痛み」の教育的効果はこの一言で全否定されるのではないでしょうか。

また、教員が巨大組体操を続ける理由については、(小学校教員の経験のある)私には、これらの内田准教授が指摘する要因のほかに、もう一つ理由があると思います。

それは、学校の「前例主義」です。

職員室は「前例主義」の力学がかなり強く働く場所です。その前例主義は場合によっては効率的で合理的でもあるのですが、逆にいえば必要な変化を起こすことができなくなる場合があります。

組体操問題もそうです。これまで何年も組体操を指導してきた教員は、巨大組体操が指導できなくなったら新たに教材研究をして授業をつくりあげていかなくてはならないわけで、それが大変だから「前例主義」に陥っている側面があるのではないかと私は思います。

忙しすぎる先生たちには新しい指導を考える時間がないのです。

とはいえ、そこは教育者としてアイディアを出していくべきではないかと思います。

★まとめ

安全第一!!!