はたして日本の学校は近代化されているのか? 法・規則より慣習・道徳を優先する社会

「日本は先進国のふりをした前近代的な社会である」と作家の橘玲氏は指摘する。

つまり、日本は法や規則により統治する社会ではなく、「習慣」や「道徳」を優先する社会だということである。

私は、日本の学校はまさにこの通りだと思う。

具体的な例を3つ挙げて説明する。

◆例①出席停止

例えば、なかなか運用されない出席停止。

私語・暴力等により継続的に授業妨害を行う児童生徒に対しては他の児童生徒の学習する権利を守る観点から、出席停止という規則が用意されている。

しかし、なかなか現場では適用されない。

なぜか。

出席停止にした児童生徒の学習機会を確保するのが難しいという理由もあるが、一番の理由は、適用された前例がないという「慣習」や適用されたら(加害者の)児童生徒がかわいそうという「道徳」を優先するからである。

その結果、学級崩壊状態が是正されず、真面目な児童生徒が学習を妨害される、教師が体罰をしてしまう、あるいは潰れてしまう、等の弊害が起きてしまっている。

他の児童生徒の学習を妨害する子どもを罰則等もなく教室に残すなどということは、法による統治を基本とする諸外国ではあり得ないことだ。

◆例②教師の働き方

教師の働かせ方についても同様である。

例えば勤務時間外に登校安全指導や部活動の指導等をさせる学校が多いが、労基法から考えれば違法(給特法により公立学校教師には残業代は支給できないため残業も命令できない)である。

しかし、現場ではどういう建前で行わせているかというと、『職務命令ではなくお願い』として、つまり労働ではなく、あくまでも教師たちの”善意”によって行われているということにしているのである。もちろん言うまでもなく、実質的には労働に他ならないわけだが。

これも教師は聖職者であるとか子どものためなどの「道徳」や例年そうしているからなどという「慣習」によって行われている。校門を一歩出たら教師は喫煙さえも注意しないという国からは考えられないだろう。

近代国家の価値観では、対価を払わずに人を働かせるのは奴隷労働にあたるのは私が指摘するまでもない。

◆例③PTA

PTAの問題も当てはまる。

法的にいえば、PTAへの加入は任意であり、強制加入ではない。

しかし、子ども・地域のためという「道徳」と、全員加入が当然という「慣習」を優先して考える者(親も教師)も少なくない。なかには、PTA加入しない家庭を”村八分”にしようとする者さえいる。

この両者は、法・規則を重視する考えと慣習・道徳を優先する考えで、前提がまったく異なる考えなので、溝が埋まることはない。

★まとめ

近代国家は法による統治を基本としている。

日本は近代国家なのだろうか。法治国家なのだろうか。

もし近代国家であるならば、学校も慣習と道徳を優先するのではなく、法・規則にもとづき統治するべきなのは火を見るより明らかだ。

逆にこのままいつまでも慣習と道徳を優先することをやめないのであれば、日本は法治国家ではないと批判されても文句は言えないのではないだろうか。

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