病気休職者が出ても不登校が出ても「本人の問題」で片づける学校。本当に問題があるのは学校ではないのか。

ある学校教員のツイートが目に留まりました。そのツイートは職場で病気休職者が出たという学校教員の発信でした。

今日はこの内容について、掘り下げて書こうと思います。

◆病休者が出ても一大事ではない?

>一人の教員が病気休暇に入るという一大事でも職員朝会はいつものように沢山の人たちからの連絡が続きます。

この文面は、今の学校現場で病気休職が出ることがいかに普通にあり得ることかを示した象徴的な描写だと思います。

人の心を感じられません。日常の一コマ、までは言わないものの、一大事という感じを受けません。例えるなら戦場で負傷した仲間の兵士を助ける余裕がないがために、そのまま立ち去ってしまう感じ、とでもいえましょうか…。

(というか、普段、しつこいほど唱えている”チーム学校”はどこへいったのでしょうかね…)

◆意図せずとも「本人の問題」として片付けられている

>このまま本人の問題であるとして終わらせてしまうのか。それでは何の解決にもならない。職員会議を開いて皆で知恵を出し合い何処に問題があるのか。どうすれば病気休暇にならずに済むのか。真剣に話し合うべきだと提案した。

この先生は素晴らしいですね。

病気休職者が出た際に、その反省をしている学校はあるのでしょうか。私はそのような”反省会議”の話を聞いたことがありません。もちろん、病気休職者のプライバシーにかかわる問題があるのかもしれません。

しかし、その先生の労働時間はどうだったのか、個人あるいは学校全体の業務量はどうだったのか、休憩時間はきちんとを確保できていたのか、等々、振り返り、反省、改善すべきことがあるのではないでしょうか。

反省が行われないのは、結局、管理職自身の管理責任が明確になるからかもしれません。また、その後の穴埋めに必死でそれどころではないのかもしれません。

しかし、反省がないのであれば、改善もなく、それはこの先生が言うように、学校が意図せずとも、「本人の問題」ということで片付けられることになります。そして、繰り返すのです。実際、この先生の学校も2年連続で病気休職者が出ているのです。

これは子どもに対しても同じです。不登校の児童・生徒が出た際に、「様々な要因がある」という言い訳を盾に、「学校側のカリキュラムに問題はなかったのか」などの反省は行われません。結局、学校がそのようなつもりはなくとも、不登校児童・生徒の「本人の問題」と処理されてしまうのです。

◆本当に「本人の問題」?

しかし、本当に「本人の問題」なのでしょうか。

今、全国で病気休職者の教職員は約5千人、不登校児童生徒は約20万人です。

こんなにも問題のある、教員、児童生徒がいるのでしょうか。

問題があるのはむしろ学校ではないのでしょうか。

あるテレビ番組で養老孟司先生は、こう言っておられました。

日本の学校の先生は子どもに対してではなく、制度の維持のために働いている。

制度の維持のために「本人の問題」とするの、もうやめにしませんか。

病気休職者、不登校児童生徒が出たら、きちんと反省し、改善しませんか。