2分の1成人式、子どもたちが親に「育ててくれてありがとう」と感謝を述べる行事。
先日、私が小学4年を担任していた頃にこの行事を取りやめた経験をツイートしたところ、三千リツイートを超える反響がありました。
2分の1成人式、私は小学校教員時代、直前に父親を亡くした子どもが学級にいたので取りやめた。
個人情報だからやめた理由を言うことができず、保護者から猛烈なクレームが来た。(子ども達は何も言わなかった)
どうやら「今まで育ててくれてありがとう」的なことを我が子に言われたかったらしい。 https://t.co/ubgdg2ZFq0— 青赤元教員 (@makoto_touwa) 2016年12月29日
今回改めて、2分の1成人式をやめるべき理由について、5つにまとめました。
1.いらぬ苦痛を受ける子どもがいる
何といってもこの理由です。この行事によって苦しむ子どもが確実にいます。
私が挙げられるだけでも、
- 片親に育てられている子ども
- 施設で生活している子ども
- 虐待を受けている子ども
- 親が仕事等で式に来られない子ども
- 親の事情で親から手紙を貰えない子ども
- 公の場でありがとうを言いたくない子ども
このような子どもたちが、いらぬ苦痛を受けるのです。
もちろん、これらの子どもたちは少数かもしれません。
しかし、恵まれない家庭環境を強く意識させられたり、プライバシーな心情を公開させられたり、「2分の1成人式は、2分の1虐待」と揶揄されても仕方ないほどのひどい経験を子どもにさせる可能性があります。
2.親を喜ばすためのイベントはいらない
言うまでもなく学校は「子どもを成長させる」場所であって、「親を喜ばす」場所ではありません。しかし、この行事の問題点は、「親を喜ばす」場になっているところです。
彼らは、我が子に「育ててくれてありがとう」と言われ、感動し、涙するのです。
しかし、この”感動ポルノ”を喜ぶ親がいる一方で、少なからず苦しむ子どもがいることは大きな問題です。
学校長が子どもたちのことを第一に考え、プライドをもって取りやめる判断を行えば良いのですが、現在そんな管理職は皆無です。
なぜなら、学校がこの行事を取りやめた日にはクレームを受け、実施すれば称賛を受けるからです。(結果、取りやめるのは私のような異端教員だけです)
これはもう、「マジョリティの暴力」といっても過言ではありません。
実際には、会に感動して涙したり、クレームを入れたりする親の他に、声は挙げないがこの行事を懐疑的にとらえている”まっとうな”親たちも相当数いると私は思います。
しかし悲しいかな学校組織は内部での自浄作用が著しく低い集団なので、彼ら”まっとうな”親”が声を挙げていかなくては変わらないのではないでしょうか。
3.学校は子どもたちが学習をすべきところ
この行事は2000年代に入ってから全国的な広がりを見せてきたものですが、そもそもは「総合的な学習の時間」や「道徳の時間」において、子どもたちが自分自身について考える機会をもつことがねらいの学習だったはずです。
これまでの自分の生活を振り返ったり、将来について考えたりする、そういう学習です。(これについての賛否は別として)
しかし、授業参観に絡めて、手紙などのやり取りを通じた親参加型で2分の1成人式を行ったところ、国語や算数の授業に比べて、「親が喜ぶ」ことが分かったために広がってきたのではないかと私は推測します。
であれば、元々の学習のねらいに戻すべきです。
親とは一旦切り離して、子どもたちが自分自身について考える機会をもてるよう進める学習に戻すべきです。
4.関係者全員が余計な負担を負う
子どもも親も教員も、この行事のせいで関係者全員が余計な負担を負うことになります。
- 子ども⇒親への手紙を書くために何度も書き直したり、読む練習をしたりする負担
- 親⇒子どもへの手紙を何の同意もなく、書かされる負担
- 教員⇒親へ手紙の依頼をしたり、子どもの手紙の誤字脱字をチェックしたりする負担
「育ててくれてありがとう」と言われたい親のために、皆が負わなくて良い負担を負うなんてナンセンスです。
皆ただでさえ忙しいのだから、子どもの「学習」に注力すべきです。
5.そもそも公教育がやることではない
この行事を好意的にとらえる親や教員たちは、「普段家ではお互いなかなか言えないことを言える機会になる」と考えているのだと推測しますが、子どもに親への感謝を述べさせる、そんなおせっかいなこと、公教育のやることではありません。
実施している学校や喜んでいる親たちはおそらく無自覚かと思われますが、
- 家庭状況を公に明らかにすること
- 個人の心情を公開させること
- 家族(親子関係)の価値観を押し付けること
などが行われる可能性があり、それらは公教育の一線を越えています。
そもそも公教育は、様々な家庭状況や学習環境にある児童がいるなか、「学習のスタートラインを揃えること」で平等な学習の機会を与えるべきものです。
言うまでもなく、2分の1成人式はこの「学習のスタートラインを揃える」原則に逆らうものです。
★まとめ
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
- 苦しむ子どもがいる
- 親を喜ばすためのイベントはいらない
- 学校は子どもたちが勉強をすべきところ
- 関係者全員が余計な負担を負う
- そもそも公教育がやることではない
このように、2分の1成人式をやめる理由はありますが、やめることでの子どもたちのデメリットはほぼないので、即刻やめるべきです。
以上、元小学校教員トウワマコトによる、「2分の1成人式を即刻やめるべき5つの理由」でした!
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今、学校は疲弊している――調査・報告書ばかり要求する教育委員会、無責任で保身しか考えない学校長、行事に過度な期待を寄せる親――草の根の現場経験から実例を挙げながら、リアルな学校の実情・問題点などを浮き彫りにする。
また、時代の変化に対応できないPTAの問題や職員室の内情にも切り込んでいく。 子どもファーストで動かない学校。そのような学校とどのように対峙したら良いのか。連絡帳の書き方や通知表の見方等、担任や学校と信頼関係を築きたい保護者へのアドバイスも行う。
現状を変えていくためには“外圧”しかない。保護者、教育関係者必読の書である。
コメント
複雑な家庭で育ちました。娘の参観日で2分の1成人式が行われ、手紙で親にありがとうや、育ててくれた感謝の気持ちを涙ながらに読んでいる子供に違和感を感じました。その場に居られず、泣きながら帰りました。そして私は、他の人と違うんだと気付きました。
ハーフ成人式の意図がよくわかりませんが、自分の考えをまとめ発表する場があった方が良いとは思います。社会人になって会議資料まとめるのに苦労します。
現在アメリカにいますが、読書記録一覧表に、作者題名あらすじを記載して満杯になったらしおりをくれる補修校。20分読書できたら色を塗って提出したらピザハットで無料ピザもらえる現地校。子供が食いつくのはどっちなんだろう、、、。(ピザは寄付で賄われています)
子は一度も補修校の一覧を提出しません、、、。毎日1時間近く読書しているのですけれど。
自分はまだそんなものがない年代でしたが、無理やり中学受験させられて親は敵だったので、あったとしたらやっぱり嫌ですね。
しかし、4~5年生ごろに「私のおいたち」的な作文の単元?が国語にあり、今もあるようですね。
おそらく学習指導要領にもともとあるのでしょう。
これも模範解答どおりにしたり、親から作文をこの表現にするように強制されたことがあった気持ちが悪かったです。
参観日で、周りの子供が自分の作ったアルバムを自分の親に渡している中、私は親に対して特に書きたいことなかったから、何も渡さなかったなと思い出した。
メリットは、不幸な子を出汁にした教員のネグレクトですよね。負担ばかりを言ってます
公教育は学習塾じゃありませんし、親の為でも“教職”員の為に存在するものでもありません
デメリットもあります。それはチェックシートとしての活用可能性
家庭状況を公にする場があることで、精神的虐待を受けている子を早期発見出来ます
普通の家庭とはどうなのか、自分のいる家庭が異常だったと知る良い転機になったかもと思うと残念です
大人になった後に認識しても遅過ぎです
こういう「放置」の言い分に同意する事勿れ主義の蔓延は絶望します。殺してやりたい気分
あー、普通親に感謝とか伝えるんだ…コロナ禍だからなのかわからないけど、うちはただ、先生からの言葉が書かれた紙(おめでとうとか書かれてる)と、寄せ書きコーナーのある、緑色の厚紙もらって、寄せ書きの時間に書いてもらったりするだけだったなー。
簡易卒業式…的な?
ただ、やったー。もうすぐ大人だー、とかしか思わなかったなあ…。
うちの学校は良いほうなのかも。親への感謝とか言ったら気まずいし…