『教員の残業時間に意味のある上限規制は付くか?』という、中教審のメンバーである妹尾昌俊氏の新記事に驚いた。
私はこれまで、妹尾氏は中教審のなかでも教員側に寄り添った発言をされていたので、好意的に見ていたのだが、この記事については、はっきりと「NO」を突きつけたい。
◆記事の要旨
この妹尾氏の記事の要旨は、読んでいただければ分かるとは思うが、(文科省が打ち出した「45時間上限規制ガイドライン」を受けた)ある自治体がその45時間残業規制について”超勤4項目だけ”に限定して適用している点について問題視し、タイトルにもあるように教員にも意味のある上限規制が必要と主張するものである。
一見、教員に寄り添った意見のように思える。
しかし、待ってほしい。
この理屈(強い言葉で指摘すれば屁理屈)に騙されてはいけない。
◆教員の上限は勤務時間
超勤4項目を除けば、教員には残業をさせてはならない。校長には勤務時間内に業務が収まるよう管理する義務がある。(だから教員には残業代は出ない)
労基法、給特法などによりそのように法律に規定されている。
にもかかわらず、超勤4項目外の業務において、当該記事のように残業があるという前提で話を進めるのは欺瞞であると私は思う。
確かに、学校教員には、決して「自発的行為」などではない、残業(正確には「時間外の業務」)は存在している。しかし、この残業を減らすためだからといって、存在しないはずの(超勤4項目外の)残業の存在を軽々と認めていいはずがないのだ。
妹尾氏は、
実態を踏まえると、だれが見ても分かるように、上記のような極めて限定された残業にだけ上限をはめこんでも、ほとんどの学校では何も意味をなさない。
と述べているが、今現在でも勤務時間という上限があるのだ。平気で違反されているから忘れがちになるかもしれないが、その重要な事実を忘れてはならない。
(確かに、超勤4項目だけに規制を適用してもほぼ意味はない。これについては、同意する。しかし残業をなくす手段は新たな上限規制ではない)
そして、これは個人的な考えではあるが、超勤4項目外の残業について、「減らすために」動いてはいけないと思う。「無くすために」動かなくてはならない。
なぜなら、元々「残業は存在しない」はずなのだから。
◆そもそも45時間ガイドラインが法律と矛盾するのが問題
そもそも妹尾氏がこういう話をし始めたかといえば、大元の45時間上限規制ガイドラインが、労基法や給特法と矛盾していることに起因する。
だから、今回の自治体のような問題が起きるのだ。
妹尾氏は文科省の45時間規制ガイドラインについて、
超勤4項目に入らないものであっても、勤務時間(在校等時間)として把握・モニタリングし、かつ、月45時間、年360時間という、現状の実態から言えばかなり思い切った枠をはめていこう、というもの。
と好意的に評価しているようだが、こちらを優先させると必然的に話がこんがらがっていく。
一方で、前述した当該の自治体は、労基法や給特法との整合性を図ったのではないだろうか。
法律との整合性を図ったのだとすれば、極めてまっとうな判断であると私は思う。
いや、ひょっとしたら、この45時間規制を超勤4項目に限定した自治体には、本当の残業を規制されないようにするために、残業規制を超勤4項目だけに絞ったのかもしれない。悪意があったのかもしれない。それは分からない。
いずれにせよ、そこにどのような意図があったにせよ、私は法律論として、法的拘束力のないガイドラインを法律に優先して適用することをしない自治体の姿勢を私は評価したいと思う。というか、現状の法律を鑑みれば、これがいたって普通の解釈なのである。
学校教員の残業をなくす手段として必要なのは、「残業上限規制」ではないのだ。
★<まとめ>必要なのは上限規制ではない
妹尾氏は、「教員にも意味のある上限規制が必要」と説くが、私はまったくそうは思わない。
私は単純に、労働基準法、つまり勤務時間を守れば良いだけの話でしかないと思う。
記事中、妹尾氏は45時間規制について、
「過労死防止をはじめとして、教員の健康管理を考えると、当たり前と言えば、当たり前に重要な話」
とも述べているが、これについても勤務時間を守れば良いだけの話である。
シンプルな話をややこしくする必要はまったくない。
確かに残業はなくしていかなければならないが、それは意味のある上限規制を設けるという手段によってではないと考える。
そして、氏に限らず、存在しないはずの残業をねつ造し、勝手に”45時間無賃残業”を落としどころにするのはやめていただきたいと切に願う。