「学校が責任をとらされるのは絶対に違う!」取手市のいじめ自殺問題を受けて、武井壮の意見を思い出した

投稿者: | 2017年6月6日

茨城県の中学3年生徒が自殺した問題が新聞やテレビ等で報道されています。

報道が過熱している理由の一つとして、中学校側が「重大事態」として上げていたにもかかわらず、市教委が重大事態にはあたらないとして議決したことです。

二〇一五年十一月に「いじめられたくない」と日記に書き残して茨城県取手市立中学三年の中島菜保子(なおこ)さん=当時(15)=が自殺した問題で、学校がいじめ防止対策推進法が規定する「重大事態」として報告したにもかかわらず、市教委が重大事態に該当しないと議決していたことが五日、分かった。(出典:東京新聞「取手中3自殺 中学は「重大事態」と報告 市教委「該当せず」と議決」6月6日)

なぜ、このような対応になったのでしょうか。

 

◆現場は教育委員会からしつこく研修を受けている

中学校側は、「重大事態」(=いじめがあった)として教育委員会に報告をしていたそうです。

なぜか。私の小学校教員時代の経験でいうと、現場では今、いじめの定義の周知徹底やいじめの報告をかなり口すっぱく教育委員会に言われているからです。

私が勤務していた自治体では、特に下記の「いじめられた児童生徒の立場に立って」というところをしつこくしつこく言われていました。

本調査において個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。 「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」 なお、起こった場所は学校の内外を問わない。(出典:文部科学省「いじめ問題など子どものSOSに対する文部科学省の取組」)

ですから、この中学校も教育委員会の指導のとおり、報告を行ったものと考えられます。

 

◆なぜ教育委員会はいじめに該当しないと判断を?

今回の取手市の問題、学校側は教育委員会に報告したにもかかわず、普段学校現場にいじめの定義や報告を徹底している教育委員会が、逆に重大事態に該当しないと判断しました。

なぜでしょうか。

一見、矛盾しているように思うかもしれませんが、実は一点において、筋は通っています。その一点とは、皆さんもご存じの通り、

  • 保身

です。

現場に対しては自身の「保身のために」定義や報告を徹底する、そして実際にいじめが起きたら今度は「保身のために」なかったことにする、一見一貫性がないように思えますが、実は「保身」の一点を通じて見れば、筋は通っているのです。

 

◆責任を追及するから保身に走る

ではなぜ彼らは保身の走るのか。

それは世の中が、「いじめが起きたら教員・学校・教育委員会の責任」として取り扱うからだと私は思います。

世論がそう扱うので、いじめ問題があったことになると、関係者は降任・異動など責任を取らされることになります。

私はそれが間違いだと思います。

もちろん、教員がいじめに加担していたとか、学校がいじめを把握していたのに隠ぺいしたとか、教育委員会は一切何も対応しなかったとか、そのような対応は責任を追及されて然るべきだと思いますが、「いじめが起きた=学校の責任」では、彼らは保身に走ってしまいます。

いじめが起こっても、きちんと対応をしていれば、それが仮に最悪の結果になってしまったとしても、学校・教育委員会に責任を追及しない、というようにすれば、彼らも保身には走らないと私は思うのです。

以前、タレントの武井壮さんがテレビ番組で、

(いじめが起こったら)対処はすべき。ただ、先生が学校が責任をとらされるのは絶対に違う」(出典:エキサイトニュース「武井壮の発言が話題 いじめ問題「責任は個人と親にある」に共感の声」)

と意見を述べていました。

その通りだと私も思います。

教員1人で30~40人の児童生徒を見なくてならない学校にすべてのいじめを把握したり撲滅したりするのは無理だからです。(しかも文科省の定義では学校外もいじめの範囲に入ります)

ですから、いじめは起こってしまう前提で、学校や教育委員会に責任を追及しない、これが世論のあるべき態度なのではないかと私は考えます。

 

★まとめ

今回の事件、取手市教育委員会はマスコミのバッシングから、その後一転して議決を撤回することになりました。

市教育委員会は30日、いじめ防止対策推進法が規定する「重大事態」に該当しないとした議決について臨時会を開き、議決を撤回した。(産経新聞「『重大事態でない』撤回 中3いじめ自殺 取手市教育長が謝罪」5月30日)

保身に走ろうとしたら傷口を広げてしまって、これでは身を守れない、マズいと思って議決を撤回したんですかね。

横浜市の児童が同級生に150万円の恐喝を受けた事件の際の、横浜市教育委員会のときと似たような展開です。

世の中が学校に責任を追及する風潮が変わらない限り、このような保身による事件対応は残念ながらこれからも起こるのではないかと私は考えてしまいます。

以上、「『学校が責任をとらされるのは絶対に違う!』取手市のいじめ自殺問題を受けて、武井壮の意見を思い出した」でした!

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