教員の「本来的業務」は2つの正反対の解釈ができてしまう

先日、埼玉教員超勤訴訟において、最高裁から上告が棄却されました。残念ですが、これで埼玉教員超勤訴訟は終了となり、判決は確定されました。

地裁判決の際、最も話題となったのが、労働とは認められなかった15の業務です。

上告棄却に伴い、これら15の業務が労働ではないことも確定したわけですが、当時Twitterなどでは「保護者対応やドリルの採点などは、しなくて良いの?」との声が挙がりました。

今日は、これら15の業務について、どのように解釈したら良いのかを考えていきます。

15の業務=本来的業務

被告である埼玉県教委は、これらの15の業務のことを教員の「本来的業務」と呼び、校長の指揮命令下にはないと主張しました。そして、校長の指揮命令下にはないが、教職調整額の支給を根拠に勤務時間外であっても教員の”やるべき”業務であるとしました。

これに対し、司法は埼玉県教委の主張を認める形で校長の指揮命令下にない(=労基法上の労働にあたらない)と判決を下しました。ただ一方で、裁判所の判決ではこの「本来的業務」について、特に何も言及しませんでした。

そういった経緯において、「本来的業務」の解釈に余地が生まれました。

「本来的業務」の解釈

さて、この「本来的業務」ですが、上記の通り判決が言葉足らずのため、次の通り、2つの解釈ができてしまいます。

①”やる必要のない”業務

②勤務時間の内外に関わらず、教員に“やるべき”業務(勤務時間外については命令はできない)

一つずつ説明していきます。

①については、労働ではないと判断されたのであるから、これらの業務は”やる必要はない”という解釈です。シンプルです。原告先生の主張寄りの解釈です。

②については、あくまで労基法上の労働にあたらないというだけで、教育公務員には自発性が求められるため、仮に勤務時間外になっても“やるべき”という解釈です。埼玉県教委寄りの解釈です。どういうことかというと、判決では勤務時間の内外において包括的に教職調整額を支給している(業務が時間外になることも想定して支給している)とされました。そのため、教職調整額の支給を根拠に“やるべき”と解釈できるのです。もっとも、この場合も勤務時間外においては命令・強制はされ(でき)ませんが。

「保護者対応やテストの採点などは、しなくて良いの?」

このことを踏まえて、冒頭のTwitterの声に回答をしてみたいと思います。

Q.「保護者対応やドリルの採点などは、しなくて良いの?」

A.①の解釈を採るならば、”する必要はない”

 ②の解釈を採るならば、“やるべき”

ですから、この判決を根拠に本来的業務はしなくて良いと手放しで吹聴し、他の教員に勧めたりする行為はまだやめておいた方が良いかと思います。

一方で、自分がどちらの解釈を採用すべきかの意見を主張することは、どんどんやるべきかと思います。

★まとめ

これは私見になりますが、この埼玉教員超勤訴訟の判決は、一貫性がなく、支離滅裂な理屈を無理くりにこじつけているので、こういった解釈がわかれる余地が生まれてしまったのだと考えています。

今後は、この教員の「本来的業務」について、どのように解釈すべきなのかが大事になると思われます。

原告の田中先生も記者会見で、解釈について「研究者にお任せしたい」と話しておられました。

マスコミにおいては、文科省がどのような解釈をもつのか問いただすべき内容かと思います。

以上、『教員の「本来的業務」は2つの正反対の解釈ができてしまう』でした。

※内容において正確さ(と分かりやすさ)を追求して執筆したつもりですが、もし誤りがあれば本記事コメント欄やTwitterなどでご指摘いただければ幸いです。なお、勤務時間内(職務専念義務)についての問題もあるのですが、話がややこしくなるので、今回はその点については省き、書きましたことを注釈いたします。

<参考> 埼玉超勤訴訟 田中まさおのサイト 判決文