工藤義男先生ご遺族の「その後の10年間」『過労死―その仕事、命より大切ですか―』より

以前、私は過労死された学校教員の新聞記事を集めたことがあります。

過労死教員は1970代から断続的にいた―過労死された先生方の新聞記事を集めた―

このなかに2007年に横浜市の中学校教員だった工藤義男先生がいます。

今回取り上げる、朝日新聞の牧内昇平記者『過労死―その仕事、命より大切ですか―』という本の第4章では、この工藤先生の残されたご遺族の方々がどのような気持ちでその後の人生を歩んでいるのかについて、取材された記録が書かれています。

◆過労死された工藤義男先生

横浜市の中学校で体育を教えたいた工藤義男先生。2007年6月、くも膜下出血で倒れ、かえらぬ人となりました。40歳でした。サッカー部の指導に力を入れ、ヤンチャな生徒たちからの信頼も厚い「熱血先生」だったといいます。

「疲れた。頭が痛い」

2007年6月14日、夜9時ごろ、(修学旅行から)家に帰ってきた義男さんは玄関で靴をぬぐのもしんどそうな状態だった。顔をしかめたまま階段をはうようにのぼり、布団に倒れこんだ。(中略)

旅行から帰ってきて6日目の6月20日朝、「これで治らなければ長期休暇をとる」ときめてクリニックを再受診したとき、待合室でくも膜下出血を起こし、意識を失った。大学病院に搬送されたが、意識が戻らぬまま5日後に息をひきとった。(P110)

残されたご遺族のその後

過労死された本人の働き方が話題にあがることはあっても、ご遺族のその後について明らかになることはあまりありません。しかし、牧内記者はご遺族たちの「その後の10年間」を取材されています。

以下の記述からは、遺族の悲しみ・つらさなどが十分すぎるほどに伝わってきます。

ベッドを見ながら、祥子(妻)さんは二人の娘と手をつなぎ、「がんばろうね」とささやいた。娘たちに、そして自分に向かって。なんとか10年がんばろうと、祥子さんは思った。10年たてば長女の実咲が就職し、次女のまりんが大学に入っている。とにかくそこまではがんばろう。夫がいなくても二人の娘を必ず幸せにする――。(P121)

だがそれは、なまやさしいことではなかった。長女の実咲さんに話を聞いたことがあった。「つらかったですね…。でもお母さんはもっと、つらかったと思います…」(P122)

「お父さんがいなくなってすごく寂しかったです。でもそれはお母さんには絶対言いませんでした。もっとつらくさせてしまうと思ったからです。一人になったお母さんが泣いているのを、わたしは知ってましたから」(P124)

当時実咲さんがおかれていた状況を聞くと、つらさが手にとるように分かる。祥子さんはとにかく忙しかった。働きながら義男さんの公務災害申請のための活動も始めていたため、夜遅くまで家に帰ってこられなかった。次女のまりんさんはまだ小学生で、こみ入った会話ができる年齢ではなかった。実咲さんは孤独だった。(中略)台所しごとをしていた祥子さんが「お父さんのところに行きたい」とつぶやいたことがあった。(P125)

しかし今、祥子さんが「なんとか10年がんばろう」と思った10年が過ぎ、娘二人は立派に成人したといいます。

大黒柱を失った工藤家はいまも揺らぐことなく、しっかりと立っている。実咲さんは卒業後に就職をした外食チェーンを辞め、いまは外資系コーヒーチェーンで働いている。次女のまりんさんは2018年に成人式を迎えた。幼い頃から夢だった「幼稚園の先生」になるために勉強している。祥子さんは10年間、親としての役目を立派に果たした。そして、横浜に「神奈川過労死等を考える家族の会」をつくって代表に就き、先生の働きすぎを解決するための活動を続けている。(P128)

★最後に

以前、過労死教員の新聞記事を集めた際、私は、

そこには「一人ひとりの人生があったこと、そしてそれが失われたこと」を改めて直視させられます。

と書きました。

今回、本書を読み、さらに『残された遺族にはその後の生活がある』という、いわば当然のことなのですが、なかなか知ることのできない「ご遺族のその後」について知ることができました。

遺族にとってのその後の生活のつらさ、厳しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。

過労死は絶対になくさなくてはならない労働災害であるという思いを強くします。

取材された筆者の牧内記者は、「過労死の犠牲にあった家族のつらさ」を次のように表現されています。

義男さんという大黒柱を失ったとき、二人はそれぞれ弱音を吐かず、必死に生きた。だが、それでも埋めがたい空白が、家庭に生じていたのだと思う。過労死の犠牲にあった家族のつらさを、わたしはまざまざと思い知らされた。(P126)

埋めがたい空白…。

『過労死―その仕事、命より大切ですか―』では学校教員のほかに、役所職員、飲食店社員、NHK記者、スーパー店員、郵便局員などの過労死遺族に対し、丁寧に取材されています。

ご一読を。